"Essay" にまつわる文章のリスト

におい

 それだけで、すぐわかる。

 昔っからそうだった。

 人を、その人のにおいで判別してた…きっと無意識なのかもしれないけれど、シャンプーとか香水とか、その人が乗ってる車のそれかもしれないけれど、その人にはその人の“におい”ってのが必ずある。

 抱かれたとき、抱いたとき、すれ違ったとき、触れたとき、いろんなときに、いろんなところで、いろんなにおいを感じてる。

 それがやがては、その人のぬくもりに変わったり、その人の証になったり、その人との証になったりする。

 一人ひとりがそれぞれで、絶対に、同じにおいは存在しない。

 必ず「これ、○○のにおいだ…」って、なぜかひとり言みたいにつぶやいてる。

 懐かしむように、記憶のなかに刻みこもうとするように。

 でも胸のなかに記憶するときには、いつも必ず無意識なんだろう。

 出逢ってすぐには、そんなにおいは感じない。

 10回通ってもその国道の名前すら憶えられない俺だけど、そういうのは1回逢えば必ずと言っていいほど記憶に焼きつく。

 そして、そのにおいが一番あふれるような、感じるような、そんなしぐさがその人には必ず1つはある。

 そこに1番の魅力を感じたりもする。

 そんなふうに、自分じゃ気づけないものがある。

  • 2006年7月 6日 00:16
  • 松田拓弥
  • Essay

集大成

 理由はいらない。
 結果はあとからついてくる。
 理由はあとからいくらでもつけられる。しかも、自分が都合がいいように。
 結果はある程度なら先に予想できる。
 だから、人間の感情に限度はない。
 想像力には壁もない。枠もない。

 ぼくをカゴのなかの鳥というなら、あなたは、それを指で突きまわす部屋のなかのヒト。
 飛べる鳥をカゴのなかに閉じこめて、自分の背中に羽根をもらう。
 そんな気でいる。そんな気になる。
 意味不明のさえずりに、理解できない鳥の声に、理解した気でエサと水を入れてあげるヒトの微笑み。
 自分の夢を、手中の鳥に映してみても、鳥をたくさん集めてみても、叶う夢は鳥の名前を自分の夢にすることぐらい。

 空を飛んだ人の次は、どこまで高く飛べるかだった。
 より高く、より高く。
 そしたら今度は、どこへ飛ぶかに変わっていった。
 サルを宇宙へ飛ばしてみた。
 行き着く果ては、そこに天井など存在しないこと。まだ果てかも知らぬまま。
 そして最後は、そこから、同じところからじゃ不可能だった、地上のすべてを見ることだった。
 そこには限界があるのだと。それを信じて。

 きっとヒトは、その限界を求めている。
 自分が始めたそれを、やめることができるその地点を望んでる。
 いつか見つけたそのなにかを、そのときと同じ目で、その限界点を探してる。
 なにかをそこでやめたヒトは、きっと自分でカゴのふたを閉じただけ。
 そして飛べない鳥を演じているだけ。
 空を見ないようにして。飛びたい鳥を影にして。

 より高く。
 より高く。

  • 2006年7月 5日 19:58
  • 松田拓弥
  • Essay

ノート

 いつもズボンのポケットに折り曲げたノートを突っ込んでいた時期があった。思いついたこととか感じたことを、いつでも書き留めておけるようにしていた。
 でもある日、それをどっかに落として失くしたとき、なんとなく自分自身までもがカラッポになってしまったような感じがした。
 でも、そんなカラッポも悪くなかった。

 空の色を知っている。虹色に変化して、夜になると黒くなって、時には大きな空のなかでいろんな色に染まってる。
 空に虹が架かる。
 空が虹になる。
 空が虹に架かる。

 夜空に三日月。
 細くてキレイで鋭くて。
 それは空よりずっと小さく見えるのに、夜空がその先端にひっかかってるようにも見える。そんなときがある。
 そしてそんな夜は、満月よりも美しい。

 満月は、人の心を狂わすという。
 たしかにそんな気がした日もあった。なんとなくワクワクしてきたり、吸い込まれそうになるぐらい目が釘付けになって夜を眺めたり、夜の闇にぽっかりとまん丸い淡い光の穴をあけたように見えたりした。
 月を指先で隠してもそこから漏れる月明かり。
 月の涙。月の雫。
 銀色に光り輝く月明かり。

 大昔の文明では、銀を“月の涙”といい、金を“太陽の汗”と呼んだらしい。
 その響きを感じたとき、やっぱり銀のほうが好きだと思った。もっと言うなら、錆びた銀が一番好きだ。
 金はまぶしすぎる。華やかすぎる。派手すぎる。目立ちすぎる。人の目にインパクトを与えすぎる。騒がしすぎる。そして、なんとなく品がないようにも感じられる。
 だから銀が好きっていうわけでもないけど、なんとなく銀のほうが好きなんだと思ってみたりする。
 そう、なんとなく銀の静寂みたいなものに惹かれる。

 ポケットに突っ込んだノートを落としてみて、それに気づいた。
 思ったことや感じたことを書き留めておけるのは、なにもノートだけじゃないってこと。

  • 2006年7月 5日 10:58
  • 松田拓弥
  • Essay

こども

 歴史を学ぶ必要は、もうなくなった…

 親の世代で規範となっていた人でも、もう今じゃ、ただのヒトなんですよね。
 実際。
「お父さんが子供のころとは、もう時代が違うんだよ!?」
 って、親に子供が言う。
 本当なんだからしょうがないんです。違うんじゃなくて、もう“通用しない”んです。
 すると…
「親に向かってなんだその口のきき方は!?」
 違うんですよね。
 もう自分が育ってきた過去は捨てるべきだと思います。
 「俺が子供だったころは…」って、これが口グセになっちゃってるお父さん、それはもう今の子供には通用しないんです。「また始まったよ」ぐらいにしか聞いてないはず。
 もうどうしょもない親になってくると、これしか言わない。
「だれのおかげでそこまで大きくなれたと思ってんだ!?」
 子供はこうひと言吐き捨ててやればいい。
「カネ」
 すると、きっとこう返ってくる。
「じゃあ、そのカネは誰が稼いでやってると思ってんだ!?」
「お父さんだよ?」
 ちょっと間を置く。
「でも義務じゃん」

 でもそれは、完全なルール違反の、絶対のタブーでしょうな。
 で、それは親にしてみれば、そうそう堪えるひと言でしょうな。まあ、深い理解のできる親なら、の話ですがね…たいていはまた言葉が返ってくるでしょう。
 なに考えてんのかわからないから手の打ちようがない、と親がぼやくのは、それは自分から知ろうとしてないだけの話です。そこで、本当に手を打つからなお悪い。
 勝手すぎるかもしれない子供の願いかもしれないけども、ホントにそばにいてほしいときに、そばにいてくれる人、それが親であってほしい。
 仕事だとか家事だとか、親にも必要最低限の付き合いってものがあるから仕方ない部分はるにせよ、そういう部分に気づいてやるっていうだけでも、子供にとっちゃ全然違う。

 「親がどうしょもないと、その子供がグレる」というのが通例らしい。
 でも、違うような気がすんだよなぁ~。
 逆に、そういう親のもとで育ってきた子供のほうが、考え方とかがしっかりしてると思います。
 髪の毛を茶色くしたり、金髪になったり、ピアス、タバコ、仲間と酒を飲み歩く、“家”にいない…
 身なりだとか時間だとか、そのほかにもいろんなことがあるでしょう。そうでしょうとも。
 ホントに家にいたくない、そこは“自分の居場所”じゃないと思ってる、そう感じてるんじゃないかと思います。
 さみしいんじゃないかなと思います。
 もっとちゃんと自分をまわりに知ってもらいたいんですよ、きっと。認めてもらいたいんですよ、きっと。

 その人なりの“表現”なんだと思います。

 自己顕示。
 早婚、ヤンママ、暴走族、ケンカ…
 憧れるんです。あったかい家庭に。家族に。
 いつでも自分を迎えてくれる深い手ぶらの絆に。
 留年する学生がいるのは、そこには楽しい仲間がいるから。絆があるから。
 で、みんながいなくなると、辞めていく。そこに居る意味がなくなっちゃうから、ただそれだけなんだと思います。
 ま、本当にどうしょもないのもいますがね…

 一番身近であったかくて信頼できるはずの絆が“家族”なら、その在り方自体が変わってしまってるんだと思います。落ちてるんだと。
 家族とより、むしろ今は、他人とのほうがよくしゃべる子供が多いと思います。そこに安心ってやつがあるのかもしれませんね、家族と、っていうよりも大きなものが…コミュニケーション不足なんてのが大流行しているようですが、きっと、そこが一番の原因だと思います。

 …一つ屋根の下で暮らす、疎遠で冷たい、カネと血の糸だけでつながった絆をひきずる、他人の集まり…

 でも実際には、“冷たい”とかは感じてるとは思えません。単なる感じ方、とらえ方のすれ違い。重点を置く場所が変わっただけ。
 あるいは、ただそこが、“つまんない”とか“退屈”と感じるというだけのことかもしれません。
 でも、そこに求めてるもの自体は、いつの時代も変わってないと思います…

 あ、長くなりすぎた。も、もうやめにしとくか。
 みんなの、その唯一つしかない自分の気持ちしだいだからなぁ~…
 俺には生理整頓能力ってのが欠如してるようだ…
 しかしまあ、こんなこと好き勝手にぶちまける俺が一番子供なのかもしれませんなぁ~…

  • 2006年7月 4日 18:56
  • 松田拓弥
  • Essay

no LAW

流行りがルールになる。

  • 2006年7月 4日 01:26
  • 松田拓弥
  • Essay

素直でいこう

 趣味:人間観賞

 人を見ること。観察すること。日記。メモは取らなくても、なんとなくボヤけて残る人の輪郭。行動。しぐさ。靴。髪。腕時計。
 誰でもいい。
 とにかく自分を見て欲しい。
 ここにいる自分を見てほしい。

 胸の内、全部を吐き出すなんてできやしない。誰にも言えずに、どんどん自分のなかに積み重なってく。
 自分のなかの、自分の本音。
 人がじっとこちらを見てる。それに自分は気づかぬフリ。得意なのは、そんな“フリ”をしてみること。
 相手が気づけば、こちらは全然見てないフリ。それは単なる暇つぶし。人のことなんて、ホントは特にどうでもいい。
 自分のなかの、自分の建前。

 名前も知らないあなたを見るから、自分を見てほしい。
 他人だけど興味を持つから、わたしに興味を持ってほしい。
 だけどわたしはあなたに興味がない。見られても、見ない。声をかけてくれたとしても、わたしはそれを無視してしまう。
 これが売れないなら、わたしも買わない。なぜなら、せっかく築きあげた自分ってものを壊されそうで怖いから…たとえそれが、壊されるんじゃないってわかっていても。たとえ壊してほしいと心のどこかで思ってるとわかっていても。
 自分のなかの、人への本音。
 わたしは何も壊さない。わたしは何も犠牲にしない。わたしは何も見捨てない。わたしは何もわたしじゃない。わたしは何も欲しくない。わたしは何もわかってない。
 自分のなかの、人への建前。

 興味を持たなきゃ、誰も自分になんて興味を持たない。
 好きにならなきゃ、誰も自分を好きになんてなってくれない。
 見なきゃ、誰も自分なんて見てはくれない。
 何かをあげなきゃ、誰も自分に何もくれない。
 いつも見返りだけを求めてしまう。

 まあね。
 別に。
 いいんじゃない?
 笑ってごまかす。
 背を向ける。

 気持ちの整理なんてできやしない。
 1秒ごとに変わってく。
 気持ち。
 自分の気持ち。
 この気持ち。
 どこにも行けやしない。

 心。
 自分の心。
 この心。
 どんなに深く押し込んでも、心だけは押し込まない。
 押し込めない。
 誰にも渡すことのできないこの心。
 固く閉ざした扉のように、誰も開くこともできない。
 自分だけの心の扉。
 一体そこには何があるのか。
 それは自分でさえもわからない。

 怖い。
 すごく怖い。
 怖くて怖くて仕方ない。
 なにもかもが怖くて怖くて仕方ない。
 なにもかもが不安で不安で仕方ない。

 今。
 自分が消えたら何が変わるか?
 友人たちの頬を涙が伝うか…
 大好きだったベランダのサボテンさえ枯れてしまうか…
 大嫌いな太陽の光もここには届かなくなるのか…
 きっと何も変わらない。

 ぼくがいなくなっても何も変わらないなら、ぼくがいて何かを変えたい。
 そして誰かが喜んで心の奥から笑ってくれたら、それは、ぼくがいてホントによかったと思ってくれたことだ。
 笑ってほしい。
 笑ってほしい。
 いっぱいいっぱい笑ってほしい。
 ぼくがいてよかったって、誰かにそう言ってほしい。
 そしたらきっと僕も心の奥から笑えるようになると思う。
 そしたらあなたも笑ってほしい。
 素直に心で笑ってほしい。

 ありがとう。
 ごめんね。
 イイじゃん。
 ダメじゃん。
 やっぱイイじゃん。

  • 2006年7月 3日 09:22
  • 松田拓弥
  • Essay

My Stage

 目の前に、紙とペンがある…

 どうしようか…じゃあ、とりあえず…

 その紙の中心にペンを突き刺して、そこにペンよりほんのちょっぴり大きな穴をあけてみた…

 なんだ、そりゃ?
 紙とペンがあったら、なんか書いてみようよ…先生が言った。
「いいじゃん別にさ…なんか書くかわりに、こんだけ分の穴あけたかったってだけじゃん? どう使おうと俺の勝手でしょ?」
「屁理屈だ」
「ああ、それでけっこうだ」

 ひねてくれてる…ヘソ曲がりたぁ~、こいつのことだ!!

 人は言う。
【ひねくれ者は、絶対根性も曲がってる】
 そしてさらに言う。
【その曲がった根性、俺がたたきなおしてやる!!】
 ありがた迷惑だ。

 人は俺を【変わり者】と呼ぶ。
 【ヘン】とか【おかしい】という言葉も使われる。
 でも俺はそのへんのことはわからない。自分はあくまで自分であって、他人に評価された自分っていうわけじゃない。その人から見たら【ヘンなやつ】だったり【ちょっと変わったやつ】かもしれんが、俺は、【俺】だ。

 俺は詩を書く。詩を書いてる。
 思ったこと、感じたこと、わいてきたものを、とにかく書いてる。
 表現するなんてシャレたもんじゃない。
 ただ書いてんだ。
 小説も書いてる。シナリオが書きたい。本が書きたい。書きたい。
 自分だけの【舞台】がほしい。
 歌もいい。
 とにかく、自分だけの【舞台】が欲しいんだ。
 でもそれは、自分の人生の上にできるものだから、他人の評価で揺れはしない。
 自分の人生、自分の評価で進めていきたい。
 認められなきゃ、それは単に【カネ】にならないだけの話だ。
 カネはいらないわけじゃないが、それは、カネで値段のつくような価値じゃない。
 そんな話をしてるんじゃない。

 人に認められたくて、小説とか詩を書いてるんじゃない。
 カネのために書いてるわけでもない。
 でもそれは嘘になるから…カネになったら嬉しいなぁ~ぐらいは言っておこう。
 ただ、自分の【舞台】が欲しいんだ。

  • 2006年7月 1日 00:57
  • 松田拓弥
  • Essay

 自分の姿を、逆さまに映しだしてくれる鏡には、不思議な力を感じる。
 …自分だけじゃなく、もっと他の、いろんなものをも映しているような気がする…
 でも自分では、その「逆さまに映った姿」が、自分の知る自分の姿だったりする。自分の目で、自分を観察することは難しい。
 その目で観察できるのは、自分の中身にしか向けられない。

 他人から見た自分の姿が鏡に映しだされる。
 自分の目で見れる自分の姿は、他人には見えない。

 出かけるときに鏡で身だしなみのチェックをするのは、そのせいかと思った。
 もし、もう一人の自分がいて、そいつが正面に立ってこっちを見たとしても、それもまた他人が見てる自分の姿を眺めてるに過ぎない。視点はそれと同じで変わらない。

 【鏡とは、何か?】
 【自分じゃないものを映すもの…そう、自分以外】

 自分じゃなきゃ気づかないことがある。自分じゃなきゃ気づけないことがある。
 他人じゃなきゃ気づかないこともある。他人じゃなきゃ見えないこともある。

 どっちも知りたいなら、鏡に自分の姿を映してみる。
 そこにいるのが【ヒトから見た自分の姿】で、それを見てるのが、【自分から見た自分の姿】だ。


 ところで、【結婚】について。
 夫婦は、お互いがお互いに似てくるというが、それでも他人には変わりない。
 あくまで「似てる」ってだけで、「同じ」じゃない。

 それで、【離婚】について。
 性格の不一致、性の不一致、すれ違い、孤独。自分を一人の人間として、女として、男として、そういう目で見てくれない。認めてくれない。出逢ったころは…

 当然だ。
 そんなこと言ってて、どうやってうまくいくのか?
 全部が一致するなら、もう「同一人物」に等しい。
 【不一致】とは、【同じじゃない】から起こる。
 それ以前に、【女】と【男】なのね。
 違う。合わないとかじゃなくて、違う。
 結婚したら、きっと男より女の人のほうが苦労する。笑わなくなるのは、きっと男より女の人のほうだ。
 女の人は、笑ってなくても笑える。
 そして、常に変化や刺激を求めてるのも両方でありながら、男も女も結局は【安定】の淵をさまよってる。

 こんなことってないか…?
 どこにも行くところがない。時間を持て余してる。
 とりあえず車に乗ってみた。
 気づくとそこは、いつもの行き慣れた、特になんの魅力もないただ行き慣れてるというだけの喫茶店。
 変化や刺激を求めるのは人の本能であり、変化や刺激を拒むのもまた人の本能だと思う。
 けれどそこに手厳しいメスを入れるのは、女の人だけ…
 それは、感覚が鋭すぎるからだ。安定と安心と、それとは相反する刺激や変化も同時に欲しがるからだ。
 男がそれをしないのは、結局最後の最後に戻れる場所が欲しいからだ。というより、それはそれで安心してるからだ。
 この“それはそれで”ってのがミソだな。
 でもこれは、きっと女の人もそうなんだろうと思う。
 で、お互いにそれをしないのは、ただ単に面倒なだけだろう。


 さて、鏡に映ったものを眺めてるとき、俺はいつも思うことがある。
<…俺以外のものになってみたい…>
 右上に映ってる洗濯物でもいいし、歯ブラシでもいい。ギターでも、ピアノでも、背後を通り過ぎた友達でも、手鏡のなかを通過していった赤の他人でもいい。何でもいい。
 生の自分の姿を、鏡以外のところから見てみたいと思う。そして、触れてみたい。自分が自分を触るんじゃなくて、他のものの感覚で触れてみたい。
 自分じゃ気づけない自分に触れてみたい…

  • 2006年6月30日 13:13
  • 松田拓弥
  • Essay

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