not SEX

【人間の3大欲求】だという。

 食欲。睡眠欲。性欲。

 いや、違うな。最後が違う。

 食欲。睡眠欲。知欲。

 腹がへれば食べたくなる。
 起きてりゃそのうち眠くもなる。
 ただ、性欲ってやつが……どうも違うような気がしたこの頃。

 そこは“知る”ってことだと思うわけよ。
 そのなかに含まれてるもんなんじゃないかと思えてきたわけ。
 気になる人がいると、その人のことを知りたいという気持ちが、どこからともなく沸いてくる。
 で、その人を知っていくっていう過程のなかにセックスだとか、性欲っていう部分があるんじゃないかと……
 はっきりしない。自信もない。
 おれも男だ。
 やっぱり人によってセックスだとか、性欲っていうものに対する考え方というか、とらえ方が違うとも思うわけだ。
 “セックスレス”っていう言葉が一気に表面化してきた。
 思いっきり衝撃を受けた一人。
 性欲っていう部分が、特にこれといって必要ないってことだろうという解釈。
 いや、あるいは、ただセックスに関してはあってもなくてもいいというだけで、性欲は沸くという感じ。
 この違いだけで、そうとうな違いがある。

 しかしだ。
 やっぱり、セックスってのは、相手を知る上での通過点だと思う。
 良く言えば、大切なスキンシップの1つ。悪く言えば、たかが通過点。
 愛し合う2人には、それは自然な行為だとも言う。
 ここで“自然”という言葉は、“誰の基準で”とか“人によってそれは違う”とか、しょうもないツッコミはしてくれるな。
 その人のことを知りたいと思ったら、やっぱり性に関しても知ってみたいと思うと思う。
 どちらの意味でも“性”というものを意識してるってのが前提なんだし。
 でもその部分には興味はないという人もいるだろうか。
 いや、でもやっぱし、その人を知るってことは、その人が性に関してどう思ってるのかってことも知るってことも含まれるだろう。含まれてなきゃいけないとも思う。
 その人がそこには興味ないっていう考えなら、それを知るってことでもあるわけだ。
 もしその人が点描ならそのなかの1つ。構成する1つの要素。
 裸を見てみたい。触れたい。寄り添いたい。すべてを知りたい。
 これは男ならではなのかもしれないけど、どんなセックスするんだろうとかにまで及ぶ。偏見とも言えようか。いや、これは単なる僕の個人的な嗜好だろうか。
 だからこそ、“飽き”っていうのがくるんじゃないかと……

 その人のことをある程度知ってしまうというか、その人に関する自分のなかにできた抽斗がいっぱいになってしまったとか。
 やっぱり“飽きる”っていう気持ちってのは、自分のなかで納得できるまである程度それができるようになってたり、ただ単に興味がなくなったり、そういう感じで区切りがついたときだと思う。
 あるいは、できないっていうことで、諦めに近い感じだったり。
 浮気だって、その人だけじゃ飽き足らず、ほかの人とのセックスに興味を感じたり、ほかの人へのかるい興味で、恋人以外の人も知りたいっていう欲求の表れなんだと思えてくる。
 恋人に対する性の興味が薄れただけで、ほかの人への性欲はあるし、それが消えたわけじゃないから。
 いや、むしろ、恋人とのセックスが、どれだけ本気なのかって試したくなるってのもあるだろう。浮気って、実際には恋人への探求心が薄れたわけじゃないんじゃないか。

 しかしだ。
 これまた、しかし。
 男の場合、たまればヤリたくなる。誰でもいいとさえ思えてくる。無性に女を欲するときがある。
 でも女性の場合、そうでもないらしい。
 とはいえ、それは男から見た女性像であって、さらには僕個人の美化しがちな見方だというのが多分にある。
 女の人だって、ヤリたくなればヤルだろうし、言い方は違えど、たまればヤリたくなるんだろうと思う。そういうときにはやっぱり誰とでも寝るんだろうし、無性に男を求めることだってあるだろうと思う。
 知りたいとか以前に、ただ単にその人と“セックスしたいかどうか”だけが基準になりそうな気もする。
 男と女の浮気は、質が違うってイメージがあるんだろうが、そんへんはきっと同じだろう。
 けっこう女性っていう性を美化しがちな僕だけど、そのへんはけっこう冷めてる。
 男も女もみんな一緒で、女は女でみんな一緒で、男も男でみんな一緒だ。
 男だけが浮気する動物ってわけじゃないし、現実的なのは女だけじゃない。どちらも理想は必ず持ってる。
 だってみんな同じ人間なんだもの。

 男と女は、本質がもう違うってなんかの本に書いてあった。
 それは僕も思う。
 でも本質そのものは、同じ人間だ。
 たぶん男ってやつは、女の人を美化したがるようだ。
 ただ女の人は、そのへんを割り切ったように男のすべてを口で言う。あくまで口ではだ。個人的にはそこを小突くのが好き。
 まあ、女の人について考えるときはきっと、あたかも世界中の全女性が自分の恋人だというような空想のなかにあるんだろう。
 それで、もし自分の恋人が誰とでも寝るような女だったらとか、部屋がメチャメチャ汚いとか、うんこしてる姿とか、そういうイメージが沸いてしまって、そんな女はイヤだとか認められないっていう勝手な基準でとらえてしまうんじゃないだろうか??
 いつまでも美しいままであってほしいっていう期待だったり。
 というより、そもそも女性っていう存在そのものを現実として、ちゃんと受け止められないのか……ましてや恋人なんて言ったら、女神さながらか。
 男も女も、所詮セックスは性欲の解消にすぎないんだろうか??
 そこに気持ちっていうのが常につきまとうから、快楽とかと一緒に結びつけたがってしまうのか??
 いや、むしろ感情っていうのをそこに結びつけたがってるだけなんじゃないか??
 切り離したら、きっとすごい楽になるだろうと思う。
 でもそれができない。いや、ただしたくないんだろう。
 感情っていうものはオプション・サービスみたいなもので、それがあればより高まったり昂ぶったりできますよみたいな補足説明がつくもんなのか。
 快楽と快楽のぶつけ合いなのか……
 欲望どうしのセッションなのか……
 だからか??

 いや、違う。話が逸れてる。
 いや、完全には逸れてもいない。微妙にかじってる。
 だから余計にタチが悪い。
 いろんなことが頭のなかで飛び火する。
 男も女もたくさんいる。
 ……待て。
 セックスと性欲自体、別モンなのか……
 でも性欲ってのは、どうしてもセックスへと結びついてしまう。憧れだったり、その性の対象への欲求だったり、不満だったりする。
 浮気されたからとか不安だったとか、ただ淋しかったは抜きにして。
 でも性欲ってのを考えるとき、そういう理由は抜きにできないのか??
 それこそ、なんとなく人肌恋しいとかってのがある。ただ無性にだったり、たまたま目についたとか。
 まあ、人肌恋しいと性欲は、必ずしも結びつかないんだけど。
 いやいや、理由なんてもの自体がいらないのか??
 欲求は欲求か?? 衝動は衝動か??
 でもその欲求も、少なからず理由があるはずだ。
 それが“相手を知りたい”っていうのじゃないかと思うわけだ。


 ……また振り出しだ。
 それも大事ってことなだけか??
 さっきも書いたように、それもそのなかにあって“その人とセックスしたいか”とか“その人を求めてるか”っていうことなんだろうか。
 なんかそんな気もしてきた。
 でもやっぱり、セックスとかでは、精神的な満足というか、満たされるっていう気持ちが一番大事だと思える。
 出さなくても、なぁ~んか満たされたなぁ~って感じるときも多々あったし……いやはや、個人的なことで申し訳ない。

 性欲は年齢とともに老いてゆくとも聞く。
 でも老夫婦は、相手を思いやり、相手を知っていくことをやめたりはしない。
 セックスだとかそういうことはもう超えた関係だとは言えないけど、たぶんどんなに年を取っても“知る”っていうことへの欲求は衰えないだろう。
 うん、そうだ。
 違った。
 別にセックス云々の話をしてたわけじゃない。
 “知る”っていう欲の話だった。

 だからやっぱり、性欲よりは“知欲”だと思ふ。

  • 2006年9月16日 03:01
  • 松田拓弥
  • Essay

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