理由はいらない。
結果はあとからついてくる。
理由はあとからいくらでもつけられる。しかも、自分が都合がいいように。
結果はある程度なら先に予想できる。
だから、人間の感情に限度はない。
想像力には壁もない。枠もない。
ぼくをカゴのなかの鳥というなら、あなたは、それを指で突きまわす部屋のなかのヒト。
飛べる鳥をカゴのなかに閉じこめて、自分の背中に羽根をもらう。
そんな気でいる。そんな気になる。
意味不明のさえずりに、理解できない鳥の声に、理解した気でエサと水を入れてあげるヒトの微笑み。
自分の夢を、手中の鳥に映してみても、鳥をたくさん集めてみても、叶う夢は鳥の名前を自分の夢にすることぐらい。
空を飛んだ人の次は、どこまで高く飛べるかだった。
より高く、より高く。
そしたら今度は、どこへ飛ぶかに変わっていった。
サルを宇宙へ飛ばしてみた。
行き着く果ては、そこに天井など存在しないこと。まだ果てかも知らぬまま。
そして最後は、そこから、同じところからじゃ不可能だった、地上のすべてを見ることだった。
そこには限界があるのだと。それを信じて。
きっとヒトは、その限界を求めている。
自分が始めたそれを、やめることができるその地点を望んでる。
いつか見つけたそのなにかを、そのときと同じ目で、その限界点を探してる。
なにかをそこでやめたヒトは、きっと自分でカゴのふたを閉じただけ。
そして飛べない鳥を演じているだけ。
空を見ないようにして。飛びたい鳥を影にして。
より高く。
より高く。
- 2006年7月 5日 19:58
- Essay