"Essay" にまつわる文章のリスト

fly

 鏡のむこうに自分の姿を映して、変な顔をしてみる。

 …ムカつく。
 ベロ出すな…
 目ェむくな…
 鼻の穴を閉じなさい…
 …もう目もあてられない。

 鏡に映ってるものって、実際のものとは逆向きになってると聞いた。
 でも、実際に鏡を見てるときって、それを忘れてしまってる。
 でも、右と左をちゃんとそのままに映されると、逆にもっとおかしくなる。
 左右逆の自分の姿に、自分だけが慣れてしまって、自分だけがそのそのまんまの自分の姿を知らない。
 自分なのに、自分が見えない。
 そのままの自分ってやつは、自分だけが見えない姿のことを言っている。
 自分に見えないものが、そのままの自分ってやつだと言えるのか?
 どうやら言えるようだ…
 だから人は嘘をつく。
 …嘘は人に見えないようにつくけれど、自分だけがその裏に隠されたホントの意味を知り得るからだと思えてきたりしてみたり…


 殺してやる、自分を。
 殺してやる、あんたを。
 殺してやるよ、みんなを。
 生まれ変われるんだとしたら、みんなを殺してやる。
 そしてまた生まれ変わったら、みんなが鳥になってるように祈ってやる。
 自由に空を飛べる、あの鳥になりたい…
 そんなふうに思ったこと、きっと誰だってあると思う。
 だから俺が殺してやる。
 そして、鳥として生まれ変わらせてやる。
 …飛べない鳥でも、鳥は鳥…
 大空高く思いっきりその羽根をはばたかせてみたらいい。
 青い空の雲のむこうを突き破って、まだ見ぬ世界に飛び立っていったらいい。

 だけどきっと鳥になったら、それはそれでイヤになるときがくるんだろう。
 そこから見える地上の景色をすごくキレイだと思える日もきっとある。
 きっと鳥は空しか飛べない。
 でも僕らは、どこにだって飛んでいける…

  • 2006年6月11日 02:03
  • 松田拓弥
  • Essay

手探り

 この言葉が、好きで好きで仕方ない。

 できれば、たとえほんの小さなことにでも感動しながら生きていきたい。

 ただそれだけだ。

 でも、自分が生きてるうちは、どうやらこうやって自分が生きてることには感動できないでいるらしい。

 そして、それを実感することすらままならないらしい。

 感じること

 自分自身を感じること

 きっと自分に何かを感じる。

  • 2006年6月10日 15:28
  • 松田拓弥
  • Essay

恐怖

 なにが一番怖いか…

 確認できないこと。目に見えないもの。見えないこと。

 人は、自分で確かめられないものがあると、必ず想像をふくらます。そして、その想像はいろんな形に変化していって、最後には、そこにある“真の姿”をかき消してしまう。
 たいてい、それ以上のものが出来上がってしまうから。

《 風呂に入っているときには、“風呂に入っている”ということを忘れる。
  誰かから電話が来ないと、それに気づかないのである。
  …いま、体洗ってる。
  …いま、頭洗ってる。
  …いま、お湯につかってる。
  いま、そういえば、お風呂に入ってる。   》

※ここは俺の大切な相棒の使った言葉の受け売りです。著作権の関係だとしても、訴えないでね。


 目に見えないものだったものが、見えるものに変わってしまうことで、逆に安心に変わってしまうので、そこで安心というぬるま湯に頭のてっぺんまで浸かってしまうわけだ。

 つまり、目に見えないことこそが恐怖であり、目に見えるものこそが安心なのであるよ。
 それを意識してないってことが怖いわけだ。

 最後のつまりは、失う前に自分の“大切なものの真の姿”に気づいてほしいということだ。

  • 2006年6月10日 10:01
  • 松田拓弥
  • Essay

フリ

 『不文律』って、これが何だか知ってるかい?

 俺は知らない。


 『自然法』って、これが何だか知ってるかい?

 俺は知らないフリをする。


 『人の心』って、これが何だか知ってるかい?

 俺はそれを忘れかけてる。
 だからもう一度、手探りしてみることにした。
 それを俺は「あたり前」と言う。

  • 2006年6月10日 03:43
  • 松田拓弥
  • Essay

ガラスの瞳

「愛してる」
「好き」
「愛してる」
「好き」
「愛してる」
「好き」
「愛してる」
「好き」
「愛してる」
「好き」
「愛してる」
「好き」
「愛してる」
「好き」
「愛してる」
「好き」
「愛してる」
「好き」
「愛してる」
「好き」
「愛してる」
「好き」
「愛してる」
「好き」
「愛してる」
「好き」
「愛してる」
「好き」
「愛してる」
「好き」
「愛してる」
「好き」
「愛してる」
「好き」
「愛してる」
「好き」
「愛してる」
「好き」
「愛してる」
「好き」

 伝えれば伝えるほど、全然足りないと感じる気持ちがある。
 どれだけ言えば、どれだけ想えば、すべてを伝えられるのかと不安になる想いがある。
 その不安は、どうすれば消すことができるのか、もっともっと不安になる。

 足りないものを補うように、どれだけ言葉を費やしたのか…
 どれだけ言葉を費やすだろう…
 でもそれ以外に表現できる言葉が見つからない…
 「愛してる」を、ほかの言葉で伝えるには、どんな言葉があるだろう?
「そばにいて」
「ずっと一緒に」
「生きてけない」
「大切」
 ふぞろいな言葉ばかりが浮かんでは消える…

「ふぞろいな」
 好きな言葉だ。

 ふぞろいなものって、どんなものがあるだろう?
 カタチ。
 気持ち。
 2つの靴。
 手。
 瞳。
 見えるものも、ふぞろいだ。

 同じ言葉の繰り返し…繰り返し、繰り返し…
 でもそれじゃ、不安も同じぐらいに募ってゆく。
 1度だけで想いのすべてが伝わるならば、どれだけ人を愛せるだろう…
 でもそれじゃ、苦しくて苦しくて、愛がきっと見えなくなる。
 言われれば言われるほどに、苦しくなって、言われなくても苦しくなって、それが軽い存在になってしまったような気がして、だけどホントはそんなことは思ってなくて、もっともっと欲しくなる。もっともっと伝えてほしい。
 だけどそれじゃ、苦しくて…切って貼るだけでも言葉を綴るだけなら簡単だから。
 伝えようと思えば思うほど、どんどん言葉がへってゆく…

 ガラス。
 弱い。
 ガラス越しに見えるむこうの景色に、今目の前にある景色が映る。
 まるでキミみたいだ…
 まるで自分みたいだ…
 まるで瞳のなかみたいだ…

  • 2006年6月 9日 03:01
  • 松田拓弥
  • Essay

期待

 頭ではわかってる。
 でも、なかなかできないことがある。


 今でもはっきりと、細かいところまで鮮明に憶えてる。そしてその言葉も、今なお心の奥底に刻み込まれてる。
 改めてあのとき教えてもらった、本当に嬉しかった言葉…


 高校2年の2学期、体育の評価は“4”だった。
 生まれてはじめてのことだった。小学校の始めての成績表までさかのぼってもそれは、初めてのことだった。
 体育なら、絶対の自信があった。成績や数字のつくものなら、常に最高のものしかもらったことがなかった。もっとも苦手な水泳でもそれは同じことだったのに…

 その日、すぐさま先生のもとへと難クセつけに体育準備室まで走っていった。
 先生は、いつもどおり細い缶のコーラを飲んでいた。いつもと違うのは、落ち着かなげにそこのなかをブラブラ歩いてたことだ。
 俺の顔を見ると、その足が止まった。
「おう、どうした?」
 どうしたじゃねぇ。ちょっと嬉しそうに笑っていた。そのときは、それが逆に俺にさらなる屈辱を与えた。
「ちょっと先生、これどういうこと?」
 俺は成績表を広げて、先生に必要以上にそこを見せた。
「当然だろ?」
「はぁ? なんで?」
 俺はおもむろに先生の椅子を机から引いてそこに座った。
「だってテスト終わったあと、“やっぱりおまえが一番キレイだったな”って、わざわざ言いに来たじゃん」
「ああ、言ったな…事実そうだったからな」
 マット運動だった。得意な種目の1つだ。努力せずともたいていのことはできてしまう。バランスや倒立での静止に関しては、単にその日の気分次第である。
 この杉林先生は体操部の顧問をやってて、何度も俺を勧誘しに来てた。でも俺はバスケのほうがやりたかった。バスケをやってなかったら、きっと俺は体操部に入ってたと思う。
「じゃ、なんでさ?」
「おまえは裏切った」
 そのひと言を聞いた一瞬、俺は言葉をなくした。その評価をもらったのも初めてなら、そんな言葉をもらったのも生まれて初めてだった。でもそれが理由かはわからない。
「え? 俺、なんかしたっけ? 裏切ったって、なにが?」
「おまえ…本当はもっとできたろ?」
 俺のなかの言葉が完全に消えた。
「おまえに期待してたんだぞ、俺はな?」
 と先生は手のコーラを机に置いて、机に浅く腰を乗せた。そして、さらに続けた。
「たしかにおまえはほかのクラスのやつを入れても、おまえが一番キレイだったよ。正直、体操部のやつら入れたって、一番だったよ…悔しいけどな」
 先生は優しい苦笑を浮かべた。
「でもな…おまえ、ホントはもっとできたろ?」
「………」
「それに、ほかのやつらが練習してるとき、おまえ何やってた? 壁に寄しかかって寝てたろ? まず授業だってほとんど出てこなかっただろうに…まあ居たときには、できないやつらに“手本見せて”って頼まれたときは、おまえ、そいつらがわかるまでやってやってたな? できないやつ手伝ったり、教えてやったりもしてたな? …あれは俺も関心したさ。俺ももう年だし、手本なんて見せてやれないからな」
 先生はまた優しく微笑んだ。
 そのとおりだった。テストでも練習の時間でも、単にほかの人の「オォ~」とか「すげぇ~」とか「うめぇ~」とかいう言葉にただ自分が酔ってただけだったんだろう。気分が良かった。人ができないことが自分にはできる。決して悪いものじゃない。ただ、自分が本当にやりたいことがもっと別のことだったとしても、もっと上のことだったとしても…
 俺自身は、これっぽっちも伸びてなかった。ただそのへんで自分だけの満足を満喫してただけだった。そして俺は、そのことにそのときまで気づかなかった。気づかされたんだ。
 むなしかった。
「おまえ、もっとできたんじゃないか? というより、もっと他に違うこともやりたかったんじゃないか? 違うか?」
「…まあね」
 俺はそれしか言えなかった。それすらごまかしでしかなかった。
「おまえが他に聞けるやつがいなかったのは仕方ないにしても、だったら俺に聞きに来ればいいだけのことだろ?」
「うん、まあね…でも、なんか今さら恥ずかしいじゃん?」
 先生は声をだして笑った。
「そこなんだよなぁ~」
 ホントおまえはそこなんだよなぁ~、と先生はもう一度繰り返した。
「本当にやりたいことあるんなら、変な意地はらないで人にちゃんと聞いて、ちゃんとそれを吸収しろ…自分がまず吸収しようとしないと、勝手になんか伸びないんだぞ? でもそれはおまえが一番よくわかってるんじゃないか? …でも、それをわかってるのにやらない…わかってるからやらないのか? …だから他の先生からも、“あいつは何考えてんのかわからん”なんて言われるんだぞ、おまえ?」
 先生はコーラをひと口飲み、笑った。
「マジで? そうなの? んなこと言われてんの、俺?」
「ああ、鈴木先生も言ってたぞ?」
 その先生はバスケ部顧問。
「あらら…まあ、聞いてもムダな人ってのもいるけどね」
 そこで俺は聞いてみた。嬉しかった。
「先生はさ、じゃあ俺になにを期待してたわけ?」
「さあね…それは俺にもわからんさ」
「なんだよ、そりゃ…自分でもわからないんなら、ちゃんと点数どおり“5”つけなさいよ」
「まあ強いていうなら、おまえの一生懸命さだろうな」
 俺はなにも言えなかった。冗談も、笑い飛ばすことさえできなかった。
「おまえは確かにうまいさ。でも、できるからってそこからなにも努力しないんじゃ、それ以上には伸びないんだぞ? バスケットでもそうだろ? おまえ、今の自分の実力でもう満足してるのか? 違うだろ? …おんなじだ」
 先生はコーラを全部飲み干し、それを素気なくゴミ箱に放った。
「ナイショーッ」
 俺は先生に口笛を吹いた。そして俺も立ち上がった。
「さて、じゃあ帰るかな」
「もう文句はないな?」
「まあ、たまには“4”もいいかなってことでね」
 俺は先生と握手した。
「むしろ、ありがとうって感じかな」
「頼むぞ、おい」
「わかったよ、じっちゃん」
 と、背中をかるくたたかれたのを返した。
「なんか俺、入る部活まちがったかなぁ~…」
「いやいや、おまえはバスケが正解だ」
 そのときちょっと真剣に体操部のことも考えた。
「ほんじゃ」
「おう、気をつけてな」
「先生もな」
「がんばれよ」
「先生もな」
「しっかし礼儀のねえ生意気なやつだな、おまえは」
「先生もな」
 先生は笑っていた。

 -完-


 なんか青春バカな映画の1シーンみたいだけど、これは実話です。

 “自分にはできる”ということだけに満足してないで、それができるなら、もっと上を目指す。上を目指したい。本当にやりたいこと、やりたかったことに、少しでも近づけるなら…
 自分ができること、自分のやりたいこと、自分の好きなこと、全部似てるようですべて違う。

 すごく大切なことを、そのとき改めて教えてもらった気がした。
 今なおつづく。
 俺のなかで、すごく大切なことになってる。
 “言葉”というより、僕の人生のなかのすごく大切で大きな大きな1シーン。あのときの先生の微笑みも忘れない。

 人がなにかに期待を寄せるとき、それはその人を想ってくれて初めて存在すること。
 誰かが期待してくれたら、それに応えられるよう、ベストを尽くしたい。
 一生懸命できる限り努力して、その期待を裏切らないよう、そうありたい。
 期待してくれることを、嬉しくさえ思う。


 そして、最後までなにも言わずに、でもほったらかしというでもなく、それを自分自身で気づくまでただずっと見守ってくれたこの気持ちが“優しさ”というやつだと、俺はそう思う。


*これは、いつかの日記の抜粋です。

  • 2006年6月 8日 21:53
  • 松田拓弥
  • Essay

時の架け橋

 ちょっとばかり【永遠】っていうのについて考えてみた。

 その“永遠”っていう時間が果てしなく続くことなんだろうか?

 その“瞬間”がずっと果てしなく続くことなんだろうか?

 その“時間”っていう捕え方そのものがなくなることなんだろうか?


 永遠って考えてみると、“明日”とか“今日”とかっていう先のことがなくなってしまうような気がする。
 今しかない。そしてそれが、ずっと果てしなく続く。

 流れつづける時は消えた。

 でも、それってイイことなんだろうか??

 明日がない。


 たしかに“今”じゃなきゃできないことってある。

 でも、それと同じように明日じゃなきゃできないことってのもあるはずだ。

 明日じゃなきゃ、やって来ない時間がある。やって来ないコトがある。それがある。

 「Yes」だったものが、ほんの一瞬後には「No」に変わるように、時も刻々と移り変わって、「No」だったものが「Yes」に変わるかもしれない。

 それってけっこう大きなことだと思う。

 “ノー”と言えない日本人。

 “ノー”しか言えない若い世代。

 “ノー”を知らない子供たち。

 “ノー”を避けてく大人たち。

 そして、そんななかに“イエス”を求めるすべての人たち。


 時間は消えない。

 明日も消えない。

 今も消えない。

 それを信じつづけることができたなら、それがいつしか【永遠】と呼べる時がくる。

 きっとそのはず。

 信じることが、そこへとつながる……

  • 2006年6月 7日 23:39
  • 松田拓弥
  • Essay

やっぱり英語はカッコいい

 今月は、洋楽で生きていこうと決めた。

 なぜなら、英語が好きだから。
 やっぱり、英語が好きだから。

 エングリッシュは、それだけで歌となる。それ自体が響きである。美しい表現などしなくとも、それがすでに音色である。響きがすでに歌である。

 日本語ってのは、どうにもこうにも美しい表現のできるヤツが上手に聴こえるし、どうしても美しい言葉を選んだ詩に人気が集まる。
 あとは、日常的な景色をどれだけ注意深く見てるか。ただ単純に、他人が共感できるような景色を、どれだけ焼きつけられるか。

 “キミの涙が1つでも床へと落ちる前に僕の手のひらで”
 “キミがもし泣くことがあったなら 僕がそばでキミその雫を受け止めよう”
 “涙の雨が今日はこの部屋のなかにも降り注ぐ 僕は体で受け止める”
 どれもこれも一緒だ。
 要は、どれだけ言葉を知っているか…
 これだ。

 英語は、どれだけその言葉に気持ちを込められるか…
 そして、それを伝えられるか…
 これだ。

 英語…
 歌に、美しい表現なんていらないのだよ。
 魂あるものに、飾りなんていらんのだよ。

 でも、あえて英語に変えようとは思わない。
 なぜなら、俺は日本人だから。なぜなら、胃腸が弱いから…

  • 2006年6月 7日 21:47
  • 松田拓弥
  • Essay

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