期待

 頭ではわかってる。
 でも、なかなかできないことがある。


 今でもはっきりと、細かいところまで鮮明に憶えてる。そしてその言葉も、今なお心の奥底に刻み込まれてる。
 改めてあのとき教えてもらった、本当に嬉しかった言葉…


 高校2年の2学期、体育の評価は“4”だった。
 生まれてはじめてのことだった。小学校の始めての成績表までさかのぼってもそれは、初めてのことだった。
 体育なら、絶対の自信があった。成績や数字のつくものなら、常に最高のものしかもらったことがなかった。もっとも苦手な水泳でもそれは同じことだったのに…

 その日、すぐさま先生のもとへと難クセつけに体育準備室まで走っていった。
 先生は、いつもどおり細い缶のコーラを飲んでいた。いつもと違うのは、落ち着かなげにそこのなかをブラブラ歩いてたことだ。
 俺の顔を見ると、その足が止まった。
「おう、どうした?」
 どうしたじゃねぇ。ちょっと嬉しそうに笑っていた。そのときは、それが逆に俺にさらなる屈辱を与えた。
「ちょっと先生、これどういうこと?」
 俺は成績表を広げて、先生に必要以上にそこを見せた。
「当然だろ?」
「はぁ? なんで?」
 俺はおもむろに先生の椅子を机から引いてそこに座った。
「だってテスト終わったあと、“やっぱりおまえが一番キレイだったな”って、わざわざ言いに来たじゃん」
「ああ、言ったな…事実そうだったからな」
 マット運動だった。得意な種目の1つだ。努力せずともたいていのことはできてしまう。バランスや倒立での静止に関しては、単にその日の気分次第である。
 この杉林先生は体操部の顧問をやってて、何度も俺を勧誘しに来てた。でも俺はバスケのほうがやりたかった。バスケをやってなかったら、きっと俺は体操部に入ってたと思う。
「じゃ、なんでさ?」
「おまえは裏切った」
 そのひと言を聞いた一瞬、俺は言葉をなくした。その評価をもらったのも初めてなら、そんな言葉をもらったのも生まれて初めてだった。でもそれが理由かはわからない。
「え? 俺、なんかしたっけ? 裏切ったって、なにが?」
「おまえ…本当はもっとできたろ?」
 俺のなかの言葉が完全に消えた。
「おまえに期待してたんだぞ、俺はな?」
 と先生は手のコーラを机に置いて、机に浅く腰を乗せた。そして、さらに続けた。
「たしかにおまえはほかのクラスのやつを入れても、おまえが一番キレイだったよ。正直、体操部のやつら入れたって、一番だったよ…悔しいけどな」
 先生は優しい苦笑を浮かべた。
「でもな…おまえ、ホントはもっとできたろ?」
「………」
「それに、ほかのやつらが練習してるとき、おまえ何やってた? 壁に寄しかかって寝てたろ? まず授業だってほとんど出てこなかっただろうに…まあ居たときには、できないやつらに“手本見せて”って頼まれたときは、おまえ、そいつらがわかるまでやってやってたな? できないやつ手伝ったり、教えてやったりもしてたな? …あれは俺も関心したさ。俺ももう年だし、手本なんて見せてやれないからな」
 先生はまた優しく微笑んだ。
 そのとおりだった。テストでも練習の時間でも、単にほかの人の「オォ~」とか「すげぇ~」とか「うめぇ~」とかいう言葉にただ自分が酔ってただけだったんだろう。気分が良かった。人ができないことが自分にはできる。決して悪いものじゃない。ただ、自分が本当にやりたいことがもっと別のことだったとしても、もっと上のことだったとしても…
 俺自身は、これっぽっちも伸びてなかった。ただそのへんで自分だけの満足を満喫してただけだった。そして俺は、そのことにそのときまで気づかなかった。気づかされたんだ。
 むなしかった。
「おまえ、もっとできたんじゃないか? というより、もっと他に違うこともやりたかったんじゃないか? 違うか?」
「…まあね」
 俺はそれしか言えなかった。それすらごまかしでしかなかった。
「おまえが他に聞けるやつがいなかったのは仕方ないにしても、だったら俺に聞きに来ればいいだけのことだろ?」
「うん、まあね…でも、なんか今さら恥ずかしいじゃん?」
 先生は声をだして笑った。
「そこなんだよなぁ~」
 ホントおまえはそこなんだよなぁ~、と先生はもう一度繰り返した。
「本当にやりたいことあるんなら、変な意地はらないで人にちゃんと聞いて、ちゃんとそれを吸収しろ…自分がまず吸収しようとしないと、勝手になんか伸びないんだぞ? でもそれはおまえが一番よくわかってるんじゃないか? …でも、それをわかってるのにやらない…わかってるからやらないのか? …だから他の先生からも、“あいつは何考えてんのかわからん”なんて言われるんだぞ、おまえ?」
 先生はコーラをひと口飲み、笑った。
「マジで? そうなの? んなこと言われてんの、俺?」
「ああ、鈴木先生も言ってたぞ?」
 その先生はバスケ部顧問。
「あらら…まあ、聞いてもムダな人ってのもいるけどね」
 そこで俺は聞いてみた。嬉しかった。
「先生はさ、じゃあ俺になにを期待してたわけ?」
「さあね…それは俺にもわからんさ」
「なんだよ、そりゃ…自分でもわからないんなら、ちゃんと点数どおり“5”つけなさいよ」
「まあ強いていうなら、おまえの一生懸命さだろうな」
 俺はなにも言えなかった。冗談も、笑い飛ばすことさえできなかった。
「おまえは確かにうまいさ。でも、できるからってそこからなにも努力しないんじゃ、それ以上には伸びないんだぞ? バスケットでもそうだろ? おまえ、今の自分の実力でもう満足してるのか? 違うだろ? …おんなじだ」
 先生はコーラを全部飲み干し、それを素気なくゴミ箱に放った。
「ナイショーッ」
 俺は先生に口笛を吹いた。そして俺も立ち上がった。
「さて、じゃあ帰るかな」
「もう文句はないな?」
「まあ、たまには“4”もいいかなってことでね」
 俺は先生と握手した。
「むしろ、ありがとうって感じかな」
「頼むぞ、おい」
「わかったよ、じっちゃん」
 と、背中をかるくたたかれたのを返した。
「なんか俺、入る部活まちがったかなぁ~…」
「いやいや、おまえはバスケが正解だ」
 そのときちょっと真剣に体操部のことも考えた。
「ほんじゃ」
「おう、気をつけてな」
「先生もな」
「がんばれよ」
「先生もな」
「しっかし礼儀のねえ生意気なやつだな、おまえは」
「先生もな」
 先生は笑っていた。

 -完-


 なんか青春バカな映画の1シーンみたいだけど、これは実話です。

 “自分にはできる”ということだけに満足してないで、それができるなら、もっと上を目指す。上を目指したい。本当にやりたいこと、やりたかったことに、少しでも近づけるなら…
 自分ができること、自分のやりたいこと、自分の好きなこと、全部似てるようですべて違う。

 すごく大切なことを、そのとき改めて教えてもらった気がした。
 今なおつづく。
 俺のなかで、すごく大切なことになってる。
 “言葉”というより、僕の人生のなかのすごく大切で大きな大きな1シーン。あのときの先生の微笑みも忘れない。

 人がなにかに期待を寄せるとき、それはその人を想ってくれて初めて存在すること。
 誰かが期待してくれたら、それに応えられるよう、ベストを尽くしたい。
 一生懸命できる限り努力して、その期待を裏切らないよう、そうありたい。
 期待してくれることを、嬉しくさえ思う。


 そして、最後までなにも言わずに、でもほったらかしというでもなく、それを自分自身で気づくまでただずっと見守ってくれたこの気持ちが“優しさ”というやつだと、俺はそう思う。


*これは、いつかの日記の抜粋です。

  • 2006年6月 8日 21:53
  • 松田拓弥
  • Essay

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