グー・チョキ

 “神様”って、1人じゃなくていいのかもね。
 つらいときに神頼みってしたくなるから、もし神様が1人だけだったら、神様だって大変だ。
 全部が全部助けられない。
 神様って万能らしいから、体が1つだけじゃないかもしれない。それでもきっと、息切れするだろうし、病気にもなったりするかもしれない。風邪で寝込んだり、今日はちょっと疲れたから人並みに“サボり”とかあってもいい。
 つらいときだけ神様に頼ってたんじゃ、神様だってサジも投げたくなるだろうさ。
 でも何かあったとき、感謝されるのも神様だから、そうも言ってられないんだろう。
 まあ、こんだけたくさんの神様がいるのに、助けられる人と助けてはもらえない人がいるってのは、そのへんを口実にすることもできるんだろうけど……
 お賽銭だって、子供にあげるお小遣いの10分の1にもならないさ。
 助けられた人だけが信じて、そうじゃない人は信じなくなるって、それじゃ神様も
商売あがったりだ。
 まあそれでも1人で全部聞いてたら、芸能人さんたちがファンレターは全部は読みきれないけど、だけどファンはみんな大事にしたい、そんな感じになるだろう。
 歌が下手だったり、100メートルが遅かったり、なんかやけに体育会系だったり、そんな神様だっているかもしれない。すごいばっかが神様じゃないだろうさ。まあ、ただ単にそっちのほうが楽しいのかな。
 信じ合って、認め合っていけばいいさ。

 なにが良くて、なにが悪いなんて、そんなのきっとどうでも良くて、そこへ行ったら手を合わせたり、決まった時間に礼をしたり、なにもなくても感謝するって、そういうことが大事なんだろう。
 そやって信じてる人みんなが、そんな自分自身を神様だと思えばいい。
 もちろん、万能とかじゃなく。
 そしたらまわりの人に感謝するし、傷つけないだろうし、つらいとき、あたり前のように相談もするだろう。

 人間を創ったってのを神様にしたいんなら、最初の人間でいいと思う。
 でも、その最初の人間を創ったのはって話になるなら、それは自然でいいんじゃないの??
 でもそれじゃあ、文明社会が聞いてあきれるってもんなのか??

 まあ僕は、無心論者ってわけじゃないけど、とはいえ“神様だっていたっていいんじゃないか??”ぐらいの感じだから、そんな壮大な映画になるようなことは言えたもんじゃない。
 なんとなくってな、そんな軽い感じで言っちゃいけないことかもしれないけど、まあ、その神様の背景だったり背負ってる歴史なんてクソ食らえだな。
 ちっちゃいころ、“毎朝、学校行く前、この石に触らないと悪いこと起きる”ぐらいの気持ちと同じレベルだ。
 全部なんて読んだことはないけど、やっぱしどの経典にいたっても、おおまかには“愛”とか“自由”とか“平等”とか、やっぱりあとは“平和”とかか??
 なんかそのへんの、どんな人に対しても通用することを説いてるんじゃないかと思うわけよ。
 で、それって誰もが願ってたり思ってたりすることでもあると思うわけよ。
 あとはまあ、断食だの無我だの生まれ変わりだの何だの、なんかいろいろあるんだろうけど、生まれた土地とか環境でそれが決まるってのはおかしいと思うわけだな。
 それが人種差別だの宗教差別につながってたりするのかなと……
 だからつかまえとく神様なんて、たいして目的もない高校選びと同じで、とりあえず“近いから”でいんじゃねぇの?

 おっと、話の規模がデカすぎて、延々終わらない気がしてきた。
 まあ要は、そうやって信じる人がいる限り、みんな1人ひとりが神様でいいんじゃないかと……
 神様を1人だけってするよりは、みんな神様にしちゃったほうが、1つのパイを取り合うようなケンカも起きなくていいんじゃないかなと簡単な結論。
 その裏にどんな歴史があろうと、誰もが平和や自由を願うなら、それに向けて宗教自体を1つにするんじゃなく、考え方を1つにすりゃいいんじゃないかと思ってしまう。
 軽いな。
 うん、そうとう軽い。
 やっぱ、その歴史にどれだけの血や思いがあったかも知らず、こんなこと軽々しく言うもんじゃないか……
 でもこれ以上の血を流さないために、今なにができるかが大事なんじゃないかな。
 いまだに宗教とかの紛争が続いてるわけで、そのへんが変わらないとずっと変わらないんじゃないかな。
 まあ、聖書とかを見てみるけど、もしこんな宗教ができようもんなら、これ1ページぐらいで書き終わるなんざぁ~、全世界の人の心を突き動かせる宗教なんかとは比べものにならないぐらいお粗末な経典だな。

 しかしねぇ~……
 「オレは神様だ」とか言って何したっていいとか言う人も出てくるだろうから……
 って、そこまで考えないといけないんだろうか??
 “愛”とか“自由”とか、そういうのは感じ方も考え方も、そういうことすべてを“人それぞれ”っていう言葉で片付いちゃうのも事実だけど、本当にそれでいいんだろうか??
 本当にそれで子供たちが将来、国境や人種も越えて、手を取り合って笑い合って過ごしていけるんだろうか??
 言うだけタダっていうように、願うだけタダなんだろうか??
 僕もここで言うだけタダかもしれないけれど、誰もが願えば何かが変わるんじゃないだろうか??

 僕は子供が大好きだ。
 やっぱり何かしたい。僕も僕っていう世界のなかでは笑って過ごせた。つらいこともあったけど、楽しいこともあった。
 どっちが多いっていうのは関係なくて、楽しく笑って過ごせたことが大事なんだ。
 そして今、僕ももういい大人と呼ばれる年だ。
 でも僕にも子供時代はあった。
 そのとき、その時代のいい大人たちが僕らのために、きっと何かしてくれたに違いない。そう思いたい。
 僕はなにを受け継いでるのか。
 そして、なにを残せるのか。

 なにを一人勝手にヒーロー気取りで、誰も頼んでもないのに使命感みたいなの背負ってんだとか言われそうだ。
 でも、なんかそういう気持ちが僕のなかのどこかに欲しい。
 なにができるかはわからない。
 でも、なにかできるんだっていうものが欲しいだけかもしれない。
 なにかをしようとして全部こなせるような、万能な人間なんかじゃない。
 でも、その子にとって神様みたいな存在になりたい。
 “ありがとう”って言ってもらえるような、そんな存在……

 あ、いや、なんかおかしい人みたいな書き方になってるな、こりゃ。
 あ、いや、でも、間違いってわけでもないんで、ここまで書いちゃったらもう、いかんともしがたい……
 引っ込みもつかないので、とりあえずこのままUPじゃ!!
 でも、自分の言葉に嘘はない。
 たまにはデカいことも言ってみたい。
 ちょっと弱気……
 いやいや、これも僕の思ってることだ。
 強気でいけ、強気でぇ~!!

 と、それ以前に、神様自体が正義だとか善とは限らないんじゃないのかなと思ってみたり。
 それが原因の戦争なんかが世界中で起こってるわけだし、「キリストミサイル発射!!」とか「シャカシャカ爆弾投下!!」とか言われてたらシャレにならん。
 とはいえ、原因がそれだからって、それが悪とも限らんわけで、歴史とかも関係してるんだろうし、そんななかで善悪を判断するほうが難しいのかもしれないし……
 ……はぁ~、実際にはこんなだから戦争だとかが起こるんだろうか。

 なにが悪でなにが善とか、どれが唯一とか正しいとか、そんな答えがないからか……
 もし本当にそうだったら、なぜ戦ってるのかもわからないじゃないか。
 なんのために戦ってるんだろうって感じる人はいないのか??
 だけど、ヤラなきゃヤラれる……そのために戦うのか??
 そんな理屈でもあれば戦えるのかもしれないけど、そんなことで戦うのか。
 僕の知るの宗教って、そういうのをやめるようにと説いてるものだと思ってる。
 そこからなにが得られるんだろうか……
 戦争が終わらない限り、戦争はなくならない。

 LOVE & PEACE
 グー・チョキ

  • 2006年9月11日 03:09
  • 松田拓弥
  • Essay

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