"Essay" にまつわる文章のリスト

からっぽ

からっぽ。

なんもない。

頭ン中も、心ン中も。

だからと言って、こうなる前はいっぱい詰まってたかっていうと、そうでもない。

いつもからっぽ。

俺の中。

  • 2006年6月 7日 16:04
  • 松田拓弥
  • Essay

elves

 「素敵な言葉には妖精が住む」という


 “妖精”って、なんか“涙”と同じぐらい神秘的なイメージがある。姿や形はわからないけど、なんとなくちょっとだけ光ってそうな感じがする。
 自由に飛べてその軌跡に星屑を降らす羽根が背中についてるだろう。淡い光を放ちながら…そして、もしそれが涙だったら、もっとキレイだと思う。妖精の涙でも、その言葉に流れた涙でも、どちらでもいい。嬉しくても、悲しくても。
 涙は言葉よりも、その多くを語る。
 だけど涙は、その多くを騙ることもある。

 でも涙って、やっぱり何より美しいと思う。
 女の人の顔の皮をはぎ落としたりもするけれど、その跡は、まるでその人が笑ったときに晴れる夜空という名の素顔に流れる天の川…

 でも僕は、そんな妖精たちの休める場所を作ってゆけたらいいなと思う。
 歌もそうだし、他愛ないおしゃべりも、たとえ挨拶だけだって、こんなにも素敵な言葉のあふれる世界にいる。
 世界中の人、その一人ひとりの、その心からあふれる言葉1つ1つに、きっと妖精は住んでるはずだから。

 僕の言葉を見つけてくれたそのときは、そこで静かに眠ってほしい。
 その羽根を少しでも休めていってほしい。
 そしてまた羽根を広げてゆくのなら、その言葉の上に涙を降らせてあげてほしい。
 その空のような心のなかに素顔のままの微笑みを。
 きっと涙の雨が降る。
 きっと優しい雨が降る。
 またここから飛び立つときには涙とともに微笑みを…

 妖精が住むためにできた言葉なんてない。
 伝えたい人の微笑みを宿すために伝えた言葉なのだから。
 言葉に宿った妖精は、きっとその心のなかに住む。まるで溶けていくように。
 いつまでも…
 そう、ずっとずっといつまでも…

  • 2006年6月 7日 13:22
  • 松田拓弥
  • Essay

ED

 衝動買い…


 恋愛もこれぐらい簡単だったらいいのにと思ふ…


 心って、やっぱりいったん頭を経由してくんだろうか…


 それもとも反射で行動に移せるんだろうか…


 そんなのムリでしょう…


 そんなことが起ころうもんなら、世界中が子供であふれ、ヤローばっかの犯罪でむせ返る…


 薄汚ねぇ~世の中だ…


 難しいことが前提の恋愛だもの。


 だからいんじゃん。

  • 2006年6月 7日 09:00
  • 松田拓弥
  • Essay

伝わりますか?

 言葉って、どうにも難しいですよね? そうですね。そうなんです。
 ニュアンスが伝わらないと、どうにもこうにも理解に苦しいときがある。ちょっと微笑みつつ、腹立たしい言葉を投げかけてみても、相手にはそうは伝わらないのですよ。「あ、ちょっと怒ってる?」みたいな感じですわ。
 そこで登場するのが、“嗅覚”というやつなんですわ。
 本当は何を言いたいのか、何を伝えたいのか、それを嗅ぎ取るわけですなぁ~。ニブいやつは、その裏側を見ることができずに、真に受けてしまうことが多々ある。まあ、言う側にも問題あるんだろうけどね。

 で、わたしはこう思ふ。

 “人間、1番反応を示すのは、ニオイなんではないか?”

 どう、当たってない?
 地味だけど、当たってない?
 それが本当に鋭いものを持ってる人ってのは、なぜか突如としてとんでもないことを言い放ったりするものです。
 そこから勘違いが生まれ、すれ違いが生まれ、時には愛が生まれ、また別れが生まれたりするわけですなぁ~、きっと。
 言葉を濁すことを意図的にやってるやつは、本当に質が悪いです。
 そうやって曖昧に言葉を発することで、単に“ニオイ”を相手に感じさせるだけなのですから・・・・・・

 伝わりますか? このにおい。

  • 2006年6月 6日 11:46
  • 松田拓弥
  • Essay

 夢とは、いろんな破片が絡みあって、1つの景色を見せてくれるもの。

 自然と、ちらちらと降る雪のような静かさと、暖炉のようなあたたかさをもって、包みこんでくれるもの。

 悪魔のような残酷さと、突然の夕立のような冷たさと、無邪気な子供のようなしたたかさを与えるもの。

 まぶたを閉じたときに浮かび上がる果てしのない夢の地図を広げ、はばたくことさえできなくなった翼のシワを伸ばして、大空に舞うことのできるもの。

 夢は、忘れない。

 ずっとずっと、これからも、いつまでも。

  • 2006年6月 6日 07:35
  • 松田拓弥
  • Essay

CSS

h1 {
自分:人を想うと、いつの間にか自分のことまで見失う;
人:自分を見失うと、その想いを見失う;
誰も:そして想いを見失うと、そのなにもかもを失うことになる;
}

p {

夢:捨てられない;
心:あきらめきれない;
愛:見つからない;
}

tabel {

position:relative;
border-spacing:auto;

}

td { font:oblique bold; }

body { background-color:#ffffff; }

  • 2006年6月 6日 04:02
  • 松田拓弥
  • Essay

習慣

 気づけば、俺は1日のあいだに5回も6回も手を洗ってる…

 なんとも気違いじみた習慣だ…

 過去に殺人でも犯したか…

 返り血でも浴びたか、この手は…

 いや、それはきっと映画の観すぎだろう…

 単なる習慣だ…

 しかし、習慣というのは、本当に恐ろしいような気になって仕方ない…

 玄関の鍵は必ずしめるのに、便所の鍵はいつもかけ忘れる…

 つまり、開けっぱだ…

 いや、ちゃんとドアは閉めるが、いつでも開閉可能というわけだ…

 いやはや、習慣とは、実に恐ろしい…

 いつもと同じ道順でしかその目的の場所へは行かない…いや、行けなくなる。

 習慣てやつに埋没しがちな日常生活。

 クセは特にこれといってないが、習慣なら、吐いて捨てるほどある。

  • 2006年6月 6日 02:50
  • 松田拓弥
  • Essay

対話する現代

 最近、「話をするもの」っていうのがブームらしい。
 というより、リアクションを起こしてくれるものといったほうが的確かもしれない…

 会話というか、コミュニケーションをとってくれるものっていうのを通して、きっとその相手が単なる機械であれ、とにかく自分を認めてくれてるという感覚を味わいたいのではないかとさえ思う。

 さみしいんだ。

 人と人の距離はどんどん離れていってるような気がする。

 さみしいんだ。

 人と機械の距離が近くなればなるほど、その向こうにいるだろう人との距離は離れていくんじゃないだろうか…

 みんな、さみしいんだ。

 みんな構ってほしいんだ。

 機械は、たしかに自分の期待どおりに応えてくれるだろう。
 期待を裏切るというのも、きっとその人のなかで密かな期待としてあると思う。
 普段冷たい人に、ちょっと優しい言葉をかけてもらうと、その人はまず9割がた、こう言う。
「あれ? どうしたの?」
 それは、自分のなかにあったその人に対する“イメージ”ってやつを裏切ったことから、そうなるんだと思う。
 でもそうやってコミュニケーションを取ってること自体には、ちょっとした裏側の期待もあったからだと思う。
 きっとどうでもいい相手なら、きっといつもどおりに軽く受け流すような対応で“訊き返す”とか“疑問符をつける”みたいなことはしないんじゃないか…

 “?” って、少なからず相手のことを今以上に知りたいという感情がなければ出てこない、きっとコミュニケーション上で重要な意味を持ってるんだと思ったりしてみたり…

 でも今は、科学技術とかパソコンの技術とかいうより、人間のそういう裏側の技術のほうがものすごい勢いで進化してるように思える。たとえば“隠す”とか“嘘”とか“上辺”とか“虚構”とか…きっともっとも曖昧で明確な説明があるとすれば、“愚かさ”っていうやつだと思う。
 機械なんて、結局は人間が作るものだから。
 人間そのものの進歩は、もっともっと目覚しいものがあると思うんだけども…

 結局進化が激しいのは、パソコンとかより、人間そのもののほうがスゴイ!!

 いい方向に向かってくれれば、世の中ももっと平和でもっと住みやすくなると思う…

 要は、“さみしさ” ってやつは、どうも“暇”ってやつかもしれない…予想以上に現代人て、けっこう暇なのかな?

  • 2006年6月 5日 03:43
  • 松田拓弥
  • Essay

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