2006年6月の文章リスト
“ 2006年6月 ” 分の文。
対話する現代
最近、「話をするもの」っていうのがブームらしい。
というより、リアクションを起こしてくれるものといったほうが的確かもしれない…
会話というか、コミュニケーションをとってくれるものっていうのを通して、きっとその相手が単なる機械であれ、とにかく自分を認めてくれてるという感覚を味わいたいのではないかとさえ思う。
さみしいんだ。
人と人の距離はどんどん離れていってるような気がする。
さみしいんだ。
人と機械の距離が近くなればなるほど、その向こうにいるだろう人との距離は離れていくんじゃないだろうか…
みんな、さみしいんだ。
みんな構ってほしいんだ。
機械は、たしかに自分の期待どおりに応えてくれるだろう。
期待を裏切るというのも、きっとその人のなかで密かな期待としてあると思う。
普段冷たい人に、ちょっと優しい言葉をかけてもらうと、その人はまず9割がた、こう言う。
「あれ? どうしたの?」
それは、自分のなかにあったその人に対する“イメージ”ってやつを裏切ったことから、そうなるんだと思う。
でもそうやってコミュニケーションを取ってること自体には、ちょっとした裏側の期待もあったからだと思う。
きっとどうでもいい相手なら、きっといつもどおりに軽く受け流すような対応で“訊き返す”とか“疑問符をつける”みたいなことはしないんじゃないか…
“?” って、少なからず相手のことを今以上に知りたいという感情がなければ出てこない、きっとコミュニケーション上で重要な意味を持ってるんだと思ったりしてみたり…
でも今は、科学技術とかパソコンの技術とかいうより、人間のそういう裏側の技術のほうがものすごい勢いで進化してるように思える。たとえば“隠す”とか“嘘”とか“上辺”とか“虚構”とか…きっともっとも曖昧で明確な説明があるとすれば、“愚かさ”っていうやつだと思う。
機械なんて、結局は人間が作るものだから。
人間そのものの進歩は、もっともっと目覚しいものがあると思うんだけども…
結局進化が激しいのは、パソコンとかより、人間そのもののほうがスゴイ!!
いい方向に向かってくれれば、世の中ももっと平和でもっと住みやすくなると思う…
要は、“さみしさ” ってやつは、どうも“暇”ってやつかもしれない…予想以上に現代人て、けっこう暇なのかな?
- 2006年6月 5日 03:43
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Color's
好きな色は、白と黒。
白は、色じゃないから。
黒は、そういう色だから。
なんかかんやとイジッてると、結局どうしても “白黒” ってとこに行き着いてしまう…
「色がなくて美しいものは、色をつける必要がない。色があって美しいものは、色を消しても美しい。」
画像とか写真をイジッてると、いつの間にか白黒調での良さをはかってしまう…
どうしても “白黒” ってのが一番カッコよく見えてしまう。
それはなぜかはわからない…
色鮮やかなモノは、どうも苦手らしい。昔っからそうだったかもしれまいに…
単なるセンスのなさかもしれないけど、いつも葬式みたいな格好をしてたような気がしないでもない。
色味のあるものでも、たいていはくすんだ色とか、ちょっと暗い色とか明るい色とかで、原色のものを持ったためしがない。
原色が苦手だ。
新聞って、だからそれだけで絵になるんじゃないかと思う。
日本の新聞は見てたってデザイン性も感じないし、なんのおもしろみもないけれど、英字の新聞は、それだけでも壁紙にできそうだし、カッコイイ雰囲気が出てる。
白も黒も、色でも光でも、どっちかがどっちもが、その極みだからなんじゃないかと思う…
ほかの色があれば、白も色になる。黒は、どこにあっても色になる。
極端だ。
黒と紺って、どうもダメだ…微妙に違う色を重ねるってのは、どうもその違和感も微妙になって、ちょっと好きくない。そこが重なることによって、よりその違和感だけが強調されるだけのような印象。
白黒って、色鮮やかなものよりも、けっこう強烈なインパクトを与えてくれるのかもしれない。そのなかのワンポイントなら、もっとドデカいインパクトがある。
不思議と “強さ” みたいなものを感じる。そして、それとは逆に “優しさ” みたいなものも感じる。
だからかな…白黒って、なんとなくイイ。
だけど、モノクロ映画は観たくない…気味悪い。
もしかしたら、フルカラーよりのそれよりも、人のしぐさや表情がはっきりとそこに出てしまうからかもしれない。
モノクロの静けさが好きで、だからこそそこに激しい “動” を感じたりもする。
でもこれって、きっと万人に共通なんじゃないかと思うのだ。
そして万国共通。
たぶんデザインとかやってる人なら、ほんの少しぐらいは理解してくれるかと思うけど、いや、共感してくれると嬉しいっていうほうが正しいかな。
なにかのデザインでモノクロにするって、最終手段であり、きっと、常套手段でもあると思うわけだ。
だからデッサン。とにかくデッサン。
デッサンできなきゃ絵なんて描けないだろうし、でも、たぶん究極的な絵もまたデッサンだと思う。
で、その切り替えって、デザインの勉強をして知識によるものだったり、構図が云々とかいうことじゃなくて、ちょっとそれらしい言葉を使うと、たぶん“心の声”とかそういうことなんじゃないかなぁ~と思う。
もしかすっと、だれもが心のなかに“自分の”色っていうのを持っていて、それが消されることによって、しかも自分じゃない他人にだ。それで、心がひどく悲しむんじゃないかなと。
きっと人が、無条件でそこに吸い込まれていくのって、悲しみとか空虚な感じだと思うわけ。
同情だろうが偽善だろうが、なんでもいい。ここじゃそんなケチな口実はケチなまんまだ。
浮かれちゃないけど、どっかふわふわしてるときって、なんだろう…すごく簡単なことだったり、すっごく些細なことにも、実はすっごい敏感に反応していて、それと同じぐらい簡単に、そこに同調したり共感したりしやすい。
ってことはなんだ?
僕は、常に僕の心が悲しんでるってことになるのか?
いや、むしろ僕の心にはそもそも、その色ってやつがないのか?
だから常にそれを求めてる?
いや、逆に、色ありすぎ?
だからほかのそれは余計と映る色は排除したがるのか?
いや、そうすることによって、自分の色を消したがってる?
なんか価値基準はホント自分だけって感じだな。
まったく、自分で書いておきながらビビんぜ、まったく。
- 2006年6月 3日 23:09
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今さらだけど、愛ってすごく、美しい
それまでは見知らぬ誰かのはずなのに
いつの間にかいろんな顔を見せてくれたり
それまでは知らなかった新しい時間が流れはじめる
そう 今さらだけど使い慣れた時計なのに
ホントなんてことはないんだね
知らなかったことを知っただけで
見たり聞いたり受け入れたりして
ごくありふれた笑顔やしぐさが
ほかの誰かにとってはあたり前のことのように
なんの意識も必要なくて
気づくことも気づかせてくれることも
「今さら」なんてそれすら笑い飛ばしてた
時間をいつも背負うように生きてきた
なんの重みも感じなくて
逃げることも追われることも
そこに時計があることすらも僕は忘れかけていた
過去のなにを時間のなかに残してきたのか
ただ今は触れることもできなくなって
記憶もどんどん薄れかけて
その瞬間の気持ちだって
今ある気持ちに負けそうで
大切にしたいと思うほど
それを写真で残したがるように
古いものはそっとヒモで結んでしまう
またヒモ解くときを恐れるように
季節や時間が同じく何度もくるように
出逢いと別れを繰り返して
だけど1つも同じものはやってこなくて
そのたびそっと胸の奥で結び目を解いて
淡くなってしまった表情や
色褪せた景色だけを広げてみるんだ
今ある色で補いながら
もし ヒモ解くことが許されないなら
もう 同じものは求めない
もし なお見ることができないのなら
もう その美しさには触れられない
愛ってきっとずっと難解で
パズルを埋めていくように
最後にやっと完成したとき
自然と笑顔になれるのかも
愛ってきっとずっと大きくて
木が葉っぱをつけてくように
最後に枯れて消えるとき
いつの間にか涙があふれてくるのかも
あたり前のようにある時間のなかで
同じものは1つもなくて
残すこともできなくて
心の奥に刻むんだ
突き刺すような点でもいい
それをつなげた傷みや涙が
軌跡をこうして作ってるんだ
失くすことは悲しいから
つらくてすごく淋しいから
たとえ一瞬だったとしても
そのとき感じた美しさをずっと忘れることがないように
美しいまま触れることもできるように
また許すことを覚えていくんだ
「今さらだ」と言いながら
いつか最後に完成したとき
すべての点で笑顔になってくれればいい
- 2006年6月 3日 11:28
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つい
街の喧騒 雑踏
見知らぬ親の子供の声
追いまくられる大きな時計 小さな時計
秘密を広めるヒトのささやき
思いを伝える名もなき歌声
ふとあなたが聞こえた気がした
振り向いたけど知らない人とすれ違う
もう一度振り返っても同じ人が歩いてく
こんなにも自分の以外の人がいて
こんなにも孤独を感じてしまう
今
聞きたい声がある
今
ほしい優しさがある
今
触れたいぬくもりがある
だから僕は一人じゃないと
感じられる
ふっと求めてしまうこと
- 2006年6月 3日 08:40
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こころ
花や線路や水とはちょっと違うけど
声や風やぬくもりのように
きっと人の心って
どこかで形になっていて
ただ目には見えないだけなんだ
いつか傷ついたり
深い溝ができてしまえば
きっともう完全には戻らない
だけどいつか雨が降ったら
そこに川ができたりして
またなにかが生まれていって
より美しい景色を彩ることもあるだろう
たとえツギハギだらけになったとしても
縫い目ばかりが増えていっても
いつの間にかそれは大きくなっていて
それってすごくあったかいって
触れてほしいと願うから
触れたいって探すから
時には隠してしまうから
触れられるって信じたい
きっと人の心って
花や線路や水のように
人が触れるものであってほしい
- 2006年6月 3日 00:46
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くもりのサングラス
色メガネをつけてると、その色がすべてのものにかかってくる。
そしてそれは、自分にしか見えない世界になる。ほかの人からすれば、そのサングラスを通して見る僕の瞳ぐらいしかわからない。
ちょっと孤独に似てる。ものすごく慢性的でだけど。
なにもしてない人とはきっとまるで景色が違う。
サングラスをはずしてみたとき、初めて気づいたことがあった。
世界はこんなにも明るかった。
コンビニや街では光が絶えない場所だけれど、あれはちょっとまぶしすぎるんだ。
いつも絶えず光を放ちつづけるところには、虫が寄る。
蛾や蚊や、小さな羽虫。
けれど害虫と呼ぶのは、きっと人間だけだろう。
人間にとって、害か無害か有益か、それが常に基準になる。
基準になれば、それ以外は、もうそれ以上でもそれ以下でもなくなってしまう。
こうやって屁理屈ばかりこねていると、イヤな部分や汚いところだけしか見えてこなくなってしまう。
人間の醜さやむごさ、残忍さや乏しさ、不完全さばかりが目につくようになる。もともとが色褪せて見えてるからか。
色鮮やかな花を見たら、その色彩への感動は、きっと半減どころじゃないと思う。かといって、モノクロの写真を見ても、若干、いや、むしろイイ感じなセピア色に見えるわけだ。
ものすごく中途半端だろうと思う。
ひょっとすると、それこそそれ以上でもそれ以下でもなくなってるんじゃないか。
けれど、その裏側の部分にも顔を向けるようにもなる。
不完全さや未完成の裏にある、完全。
常にそれを求めてる。
そればっかりは飽きることがないらしい。
不思議なものだと思う。
不完全だから、完全を求められる。もし自分が完全だとしても、それにまた不満を覚え、さらに上へとのぼってゆく。
人間は欲張りだ。
でも欲張りだから進化がある。発展がある。展開が広がる。
完全な人間なんていない。
でも、不完全な人間なんてのもいないのかもしれない。
- 2006年6月 2日 22:49
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たまご
始まりがなければ、終わりも来ず。
終わりがなければ、始まりもない。
いつの間にかの始まりも、終わるときには時間がある。
終わりには、いつの間にかなんてあり得ない。
いつの間にか終わるときには、いつもなにかが消えている。
始めることが怖いのは、終わりが来るのを知ってるから。
終わりのないものなんて、まず、ない。
終わるために始めたものなんてのも同じぐらいないけれど。
でも、終わらないように続けていく努力なら、誰にでもできる。
手遅れだなんて思わないで。
今からだって遅くはない。
なんだって。
- 2006年6月 2日 06:24
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#0724
わからない
どうしてこんなにも人を拒んでしまうのか
ひさしぶりに逢えたのに
質問ひとつ向けられない
素気なく
答えるだけで
一瞬だけを見つめてしまって
目が合ってたことでさえ
よそよそしさを装ってる
知りたい
聞きたい
触れていたい
いっぱいあるんだ
強がってるのか
無邪気に求めてしまうほど
大人のように背伸びして
鼻で笑って せせら笑って
そんな自分を嘲笑って
見つめられる視線が怖い
興味のほうから目を背け
たった2、3の質問なのに
豪奢な料理に視線を落とす
だけどあなたはそこにいる
あとから過去を知るように
僕がそれをひきずるように
僕だけ素直に笑えない
あなたがちょっかい出すように
そやって微笑む今も前も
かるく僕に手を振った
僕はそんな小さなしぐさにも
ほしい理由を探してた そう
過去を忘れて笑えるような
これから笑っていけるような
儚い期待を君の胸に
ソッポを向いて
もう一度どこかで逢えていたらと
何度もさびれた自販機で
ジュースを買って振り返った
もう二度と逢えないかも、と
暑いからジャケットなしで正解だった
あなたが寒そうだったから
僕がまだその細い肩を抱けたとき
まだ僕らに過去はなかった
懐かしいから
ただ想い出みたいに逢えたからかな
今すごく嬉しそうに笑うから
その理由が僕であってほしいと願うのは…
- 2006年6月 2日 02:20
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