2006年6月の文章リスト

“ 2006年6月 ” 分の文。

やっぱり英語はカッコいい

 今月は、洋楽で生きていこうと決めた。

 なぜなら、英語が好きだから。
 やっぱり、英語が好きだから。

 エングリッシュは、それだけで歌となる。それ自体が響きである。美しい表現などしなくとも、それがすでに音色である。響きがすでに歌である。

 日本語ってのは、どうにもこうにも美しい表現のできるヤツが上手に聴こえるし、どうしても美しい言葉を選んだ詩に人気が集まる。
 あとは、日常的な景色をどれだけ注意深く見てるか。ただ単純に、他人が共感できるような景色を、どれだけ焼きつけられるか。

 “キミの涙が1つでも床へと落ちる前に僕の手のひらで”
 “キミがもし泣くことがあったなら 僕がそばでキミその雫を受け止めよう”
 “涙の雨が今日はこの部屋のなかにも降り注ぐ 僕は体で受け止める”
 どれもこれも一緒だ。
 要は、どれだけ言葉を知っているか…
 これだ。

 英語は、どれだけその言葉に気持ちを込められるか…
 そして、それを伝えられるか…
 これだ。

 英語…
 歌に、美しい表現なんていらないのだよ。
 魂あるものに、飾りなんていらんのだよ。

 でも、あえて英語に変えようとは思わない。
 なぜなら、俺は日本人だから。なぜなら、胃腸が弱いから…

  • 2006年6月 7日 21:47
  • 松田拓弥
  • Essay

からっぽ

からっぽ。

なんもない。

頭ン中も、心ン中も。

だからと言って、こうなる前はいっぱい詰まってたかっていうと、そうでもない。

いつもからっぽ。

俺の中。

  • 2006年6月 7日 16:04
  • 松田拓弥
  • Essay

elves

 「素敵な言葉には妖精が住む」という


 “妖精”って、なんか“涙”と同じぐらい神秘的なイメージがある。姿や形はわからないけど、なんとなくちょっとだけ光ってそうな感じがする。
 自由に飛べてその軌跡に星屑を降らす羽根が背中についてるだろう。淡い光を放ちながら…そして、もしそれが涙だったら、もっとキレイだと思う。妖精の涙でも、その言葉に流れた涙でも、どちらでもいい。嬉しくても、悲しくても。
 涙は言葉よりも、その多くを語る。
 だけど涙は、その多くを騙ることもある。

 でも涙って、やっぱり何より美しいと思う。
 女の人の顔の皮をはぎ落としたりもするけれど、その跡は、まるでその人が笑ったときに晴れる夜空という名の素顔に流れる天の川…

 でも僕は、そんな妖精たちの休める場所を作ってゆけたらいいなと思う。
 歌もそうだし、他愛ないおしゃべりも、たとえ挨拶だけだって、こんなにも素敵な言葉のあふれる世界にいる。
 世界中の人、その一人ひとりの、その心からあふれる言葉1つ1つに、きっと妖精は住んでるはずだから。

 僕の言葉を見つけてくれたそのときは、そこで静かに眠ってほしい。
 その羽根を少しでも休めていってほしい。
 そしてまた羽根を広げてゆくのなら、その言葉の上に涙を降らせてあげてほしい。
 その空のような心のなかに素顔のままの微笑みを。
 きっと涙の雨が降る。
 きっと優しい雨が降る。
 またここから飛び立つときには涙とともに微笑みを…

 妖精が住むためにできた言葉なんてない。
 伝えたい人の微笑みを宿すために伝えた言葉なのだから。
 言葉に宿った妖精は、きっとその心のなかに住む。まるで溶けていくように。
 いつまでも…
 そう、ずっとずっといつまでも…

  • 2006年6月 7日 13:22
  • 松田拓弥
  • Essay

ED

 衝動買い…


 恋愛もこれぐらい簡単だったらいいのにと思ふ…


 心って、やっぱりいったん頭を経由してくんだろうか…


 それもとも反射で行動に移せるんだろうか…


 そんなのムリでしょう…


 そんなことが起ころうもんなら、世界中が子供であふれ、ヤローばっかの犯罪でむせ返る…


 薄汚ねぇ~世の中だ…


 難しいことが前提の恋愛だもの。


 だからいんじゃん。

  • 2006年6月 7日 09:00
  • 松田拓弥
  • Essay

ぽっかり墓地

そこだけなぜか照らされてたんだ
きっとただ
それだけなんだろう
なんだろうけど
なんだかすごく気になった

だけど僕とは無関係
まるですべてが他人事で
僕の前には限りない生が見えてるだけで
だけどいつも忘れないで

※これはもうほとんど、“ゆず”の盗作に近いな。
『ぼんやり光の城』
『気になる木』
 ……僕より応援の意も込めて。

  • 2006年6月 7日 05:37
  • 松田拓弥
  • Poetry

そら

この空じゃ
消えない雲はありっこない
昇って昇って
少しずつ
空はきっと青いままさ
雲がどんなに重くとも
空気がどんなに揺らいだって
その先は その向こう側は
いつも澄んだ空がある
青く大きな空がある
きっと誰にも平等なのは
この空なんだね
この空のむこうに
ホントのそらがあるんだね

  • 2006年6月 6日 23:03
  • 松田拓弥
  • Poetry

ありふれた時間

見慣れた街に雪が降る
歩くたびに鈴蘭の花が凛と音をたてそうで
つかめもしない水でさえひび割れしそうにガラスを包む
だけど君は白い服で笑ってる

向かいの小さな喫茶店
帰る時間をいつもそこで刻んでる
だけど今は空を見上げてくれる
君の腕時計も今は僕のコートのポケットのなかだから

いつもよりもほんの少し君は深く
僕の腕に抱かれてく

ほかには何もない時間
君と僕と今は雪
いつもと同じ君なのに
いつもと違う君がいる


音もなく静かに雪が降りつづく
きっと窓のむこうじゃ同じように時も積もって
予約しといた高級フランス料理さえ
今ごろ雪だるまみたいにされてるのかな
君もいつの間にか眠っちゃったね

でもいんだ
そんなことはどうでもいいんだ
君をこのまま抱きしめたい
だけど今はこのまましばらく寝ていてほしい


何度も同じ話を繰り返したり
お互いの変わらなさを笑ったり
この手 この肩 この口唇
いつもと同じ君だから


この気持ちやこのぬくもり
触れていられるこの距離だとか
君の寝顔を眺めながら
君の笑顔を思いだしたり
ただただ君が愛しくて
愛しくて 愛しくて

君の長いまつ毛が腕の上でかすかに踊った
そして僕の時計でそっと笑った
僕は気づかなかったフリをして
君もまた眠ったままのフリをした

  • 2006年6月 6日 21:36
  • 松田拓弥
  • Poetry

伝わりますか?

 言葉って、どうにも難しいですよね? そうですね。そうなんです。
 ニュアンスが伝わらないと、どうにもこうにも理解に苦しいときがある。ちょっと微笑みつつ、腹立たしい言葉を投げかけてみても、相手にはそうは伝わらないのですよ。「あ、ちょっと怒ってる?」みたいな感じですわ。
 そこで登場するのが、“嗅覚”というやつなんですわ。
 本当は何を言いたいのか、何を伝えたいのか、それを嗅ぎ取るわけですなぁ~。ニブいやつは、その裏側を見ることができずに、真に受けてしまうことが多々ある。まあ、言う側にも問題あるんだろうけどね。

 で、わたしはこう思ふ。

 “人間、1番反応を示すのは、ニオイなんではないか?”

 どう、当たってない?
 地味だけど、当たってない?
 それが本当に鋭いものを持ってる人ってのは、なぜか突如としてとんでもないことを言い放ったりするものです。
 そこから勘違いが生まれ、すれ違いが生まれ、時には愛が生まれ、また別れが生まれたりするわけですなぁ~、きっと。
 言葉を濁すことを意図的にやってるやつは、本当に質が悪いです。
 そうやって曖昧に言葉を発することで、単に“ニオイ”を相手に感じさせるだけなのですから・・・・・・

 伝わりますか? このにおい。

  • 2006年6月 6日 11:46
  • 松田拓弥
  • Essay

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