色メガネをつけてると、その色がすべてのものにかかってくる。
そしてそれは、自分にしか見えない世界になる。ほかの人からすれば、そのサングラスを通して見る僕の瞳ぐらいしかわからない。
ちょっと孤独に似てる。ものすごく慢性的でだけど。
なにもしてない人とはきっとまるで景色が違う。
サングラスをはずしてみたとき、初めて気づいたことがあった。
世界はこんなにも明るかった。
コンビニや街では光が絶えない場所だけれど、あれはちょっとまぶしすぎるんだ。
いつも絶えず光を放ちつづけるところには、虫が寄る。
蛾や蚊や、小さな羽虫。
けれど害虫と呼ぶのは、きっと人間だけだろう。
人間にとって、害か無害か有益か、それが常に基準になる。
基準になれば、それ以外は、もうそれ以上でもそれ以下でもなくなってしまう。
こうやって屁理屈ばかりこねていると、イヤな部分や汚いところだけしか見えてこなくなってしまう。
人間の醜さやむごさ、残忍さや乏しさ、不完全さばかりが目につくようになる。もともとが色褪せて見えてるからか。
色鮮やかな花を見たら、その色彩への感動は、きっと半減どころじゃないと思う。かといって、モノクロの写真を見ても、若干、いや、むしろイイ感じなセピア色に見えるわけだ。
ものすごく中途半端だろうと思う。
ひょっとすると、それこそそれ以上でもそれ以下でもなくなってるんじゃないか。
けれど、その裏側の部分にも顔を向けるようにもなる。
不完全さや未完成の裏にある、完全。
常にそれを求めてる。
そればっかりは飽きることがないらしい。
不思議なものだと思う。
不完全だから、完全を求められる。もし自分が完全だとしても、それにまた不満を覚え、さらに上へとのぼってゆく。
人間は欲張りだ。
でも欲張りだから進化がある。発展がある。展開が広がる。
完全な人間なんていない。
でも、不完全な人間なんてのもいないのかもしれない。
- 2006年6月 2日 22:49
- Essay