2006年6月の文章リスト

“ 2006年6月 ” 分の文。

A.M.

夜の空が明けてゆく
たばこの煙と眺めてた星さえ隠してく

どこかで踏んだ花でさえ
いつかなんの気なしに眺めた水面も
運命だったと呼べるほど
大きくないし小さくもない

ふと見つけた偶然だったはずなのに
想い出だとか始まりだとか
それさえどうでもいいと思えてしまうほど
“必然”なんて弱い言葉が胸裏をかすめる

想い出話をするたびに
未来を語っているような
残しておきたい一瞬が
写真を通して明日を見つめているような

我慢したり涙したり
些細なことで熱くなったり
気持ちさえも置き去りにして
絆の深さを確かめ合ったり
なんでもないのに抱きしめ合ったり
2度目の同じ場所なのに
何度も繰り返し足を運んでみたりして
夜空に浮かぶ星座のように
変わらず今もそばにいる

天気や季節で揺れたり変わってしまっても
時間や場所ではいつも同じと信じてる
いつまでも いつまでも……
いつまでも そう いつまでも……

  • 2006年6月28日 03:18
  • 松田拓弥
  • Poetry

生きる

 …一生懸命考えた。
 寝るまでのあいだ、ずっと、そのことについて考えてた…

 …【生きる】…

 いろんなことを疑った。
 それが可能だったから…
・俺は、本当に今ここにいるのか?
・俺は、本当にこの名前であってるのか?
・俺は、笑ってるとき本当に笑ってるのか?
・俺は、泣いてるのか?
・そもそも『生きる』って、なんだ?

 たまにふとした瞬間に感じるときがある。
〈ああ、今、俺、生きてるなぁ~〉
 まるで湧き水みたいに、そう感じてしまうときがある。

 どんなときだったか…
 …でも、思いだせなかった。
 本当に【ふとした瞬間】だったんだと思う。
 便所にいるときかもしれないし、部屋でタバコ吸ってるときかもしれないし、ボケーッと天井の模様でアミダクジしてるときだったかもしれない。ぶらぶらアテもなく歩いてるときかもしれないし、颯爽とチャリンコこいでるときだったかもしれない。思いっきり歌ってるときだったかもしれない。誰かとしゃべってるときかもしれなかった。
 けど、けっこうあったような気もする。

 楽しい時とか、悲しい時とか、思いっきり叫んでる時とか、怒ってる時とか、そういう瞬間じゃない。
 【理由】なんてなかったような気がする。
 楽しいから、生きてる…
 そんな感じ方じゃなかったような気がする。


 ポッ…
                        ポッ…             ポッ…

             ポッ…


 本当にこんな感じで、例えて言うなら、きっとこんな感じだと思う。

- 落ち葉がひらひら舞い落ちて、
         それが道端で静かにそのカタチをつけた -

 一生懸命考えることもなかった気もするけど、ムダだとは思わない。


 【生ける屍】
 よく聞く単語だ。熟語か? 表現か?
 生きてるのに、死んでるみたい…
 そうやって見ると、ただ呼吸してるっていうだけでも【生きてる】と言えるみたいだ…でも【死んでる】らしい…
 死んでるけども、生きてるように見えることもあるらしい…

 …動きがあるか、ないか…

 それか?
 動きというか、躍動感というか、エネルギーというか、血色というか…不思議なオーラみたいのを発散する空気っぽい感じか?


 【眼】か?

 生き生きした眼だとか、眼が死んでるという表現をよく聞く。
 たしかに、それはあると思う。大いにあると思う。
 死んだ人の目を閉じるのも、そのへんからきてるのかとも思ってみたりする…

 【生きる】
 理由はいらないのかもしれない。
 理由はないのかもしれない。
 理由は求めないのかもしれない。

 生きることに、理由なんていらないのかもしれない…

 生きてること自体が、その理由になってるのかもしれない…


 …一生懸命考えた。
 でも、【答え】なんて見つからなかった…もしかしたら、その自分が生きてるうちは、答えなんて見つけられないのかもしれない。

  • 2006年6月28日 00:00
  • 松田拓弥
  • Essay

笑うこと

 日本人って、けっこう大切に思ってないんじゃないかと最近気づいたのであった…
 なぜなら、日本人って、あんまり笑わないと感じたから…
 デッカい口あけて、思いっきし笑ってる人って、あんまり見たことない…テレビのなかぐらいしか見たことない…身のまわりでそんな笑い方してるの見たことないと思った。
 外国の人を見るのもまあ確かにテレビだけってのがほとんどだけど、やっぱり笑うときは豪快に笑ってるような気がする…抑えぎみでもやっぱり本当に楽しそうに笑ってるように見える。

 【笑顔】っていう表情がある…

 だけどさ、日本人がそれを重要だと感じたりイイモノだって思ってるのって、歌とか小説とか映画のなかだけじゃないかと思った。
 歌詞だったり、セリフだったり、それを客観的に眺めてるとき。

 つまり、【フィクション】ってやつ。

 いざ実際に自分のこととなると、なんだかあまり笑えてないように見える…ひきつった笑い…無理した笑顔…ゆがんだ微笑み…目が死んでる笑顔…笑ってない笑顔…いろいろあった。
 中にはちゃんと笑える人もいるんだろうけど、俺のまわりではごく少数しかいないような気がするのだね、それは。
 だから、日本人はすぐ老けたように見えるんじゃないかと…
 日本人が得意な笑顔って、“嘲笑”と“冷笑”じゃないかと…勝手な思いこみかしら。

 日本人にとって、思いっきりデカい声だして笑うことって、あんまり好ましくないと思われてるんじゃないかな、実際には?
 電車のなかで大声で笑うやつは、たしかにやかましい…うるさい。
 でも場所が違えばどうだろう…
 たとえばお食事中…でも、これでもやっぱり怒られるんじゃないか?
 メシ食ってる最中にしゃべったり笑ったり歌ったりしたら、親に怒られたという記憶がある…たたかれたこともあった。
 だからかもしれないけど、俺は今、メシ食ってるときにただ黙々とメシだけを食う人が嫌いだ。楽しく談笑しながらのメシの雰囲気も、一緒に食え。

 こないだ仕事中に笑ったら、うしろから社員の人に怒られた…これは別問題なのか?
 仕事は仕事ってことか?
 たしかに。一理ある。
 でもただ黙って自分の仕事をこなすだけなんて、つまんなすぎだろう…やっぱ仕事も楽しくやりたいじゃん。
「仕事はそんなに楽しいものじゃない」
 んなこと言う人は嫌いだ。
 …黙々と自分の仕事をそつなくこなして、ミスはゼロ、ムダ口禁止、姿勢を正して、挨拶しっかり…これが日本のお仕事大原則だと感じたのは、授業を抜けてブラブラしていた廊下から見つけた中学2年の職員室。
 つまんなそうだった…
 俺には入れない。
 …雑談しながら仕事をやって、笑えるミスならたまの愛嬌、デッカいミスならその損害返すまでずっと勤務で給料カット、ムダ口最高、仕事のしやすい環境は自分で整える、音楽嫌いは即刻クビ、挨拶はひさびさに会ったときで充分…楽しそうな仕事場だ。いや、遊び場だ。
 もし自分で作るなら、公園みたいな会社がいい。

 俺が見た感じでは「ちゃんと笑える人=おもしろい人」なのかなぁ~…と。そして若くみえる!! じいちゃんでもばあちゃんでも、笑ってるときの顔は、なぜか若く見えて仕方ない…シワとかは別のものとして、気持ち若く見えたりする。
 ああ、長くなりすぎた…

 ちゃんと笑ってる?
 ちゃんと笑えてる?
 ってか、ちゃんと人生楽しんでる??

  • 2006年6月27日 20:55
  • 松田拓弥
  • Essay

CROSS WORDS

クロスワードか
ヒントはそこらじゅうに散らばってるけど
答えはどこかチグハグで
いつもそのたびハグをして

なにができるかわからない
テーマなんてありはしない
ないないばかりじゃ意味がない
目的さえもわからない

自分のなかの空白を
脈絡もないその日暮らしで
わからなけりゃそのままで
なんとなくを埋めていく

その一つひとつを拾い集めていくうちに
ヒントが答えだって気づいたりした

最後にできたつながりが
今を形作っているのなら
それがきっとなにかの答えなんだろう
そのなにかもなにかのヒントなんだろう

  • 2006年6月27日 17:00
  • 松田拓弥
  • Poetry

待望のOPEN『チェルシーショップ』!!

 あぁ~ん、やっと完成だわさ!!
 ここへきて、やっと先日から頼まれていたWEB製作の案件が解決した!!


 その名も『チェルシーショップ』!!


 というのも、たびたび日記にも出てくるんだけど、僕がいつもお世話になってる『Chelsea SW3』っていう美容室。
 で、そこの店長さんがついにネットにもショップを作るってことで、そのサイトデザインを依頼されたってわけです。
 って実は、その1ヶ月ほど前から、ずっと店長自ら悪戦苦闘を繰り広げていたらしいのです。なんせこういうの初めてだったらしいので……
 まあ、ちょっとは知ってる僕から言わせてもらうと、そういう状態でまず作ってみようっていう気になるあたりがすごい……


 まあ、困ってる人が目の前にいて、それを放っておけっか??
 変な正義感とだれも頼んでもいない使命感にあふれるこの俺様に限って、そんなはずがない!!
 そこであっさりと引き受けたわけです。


 が、今まで個人のやつしかやったことがなかったので、この利益を上げてナンボっていうショップのサイトデザインってのは、僕も初……


 それからというもの、わたくしも店長さながら徹夜と睡眠不足と、ない知恵しぼるという悪戦苦闘を繰り広げながら日々を過ごしながら、やっとこの日を迎えたわけです。
 そう、今日がその『チェルシーショップ』のオープンなんです!!


 むつかしいィ~!!


 最初に審査があって、さらにまた審査があって、またまた審査があって……
 まあ、楽天だから?
 あんだけデカけりゃ、そんだけ変なのも出てきそうなわけで、そういう厳重に厳重を重ねた審査があっての、あの規模なんだろうけどさ。

 ……めんどくせぇ。
 これが率直な感想です(笑)


 んで、あの“楽天 RMS”だっけ?
 あのシステムさぁ~……
 わからない人にも優しく使いやすいってのが売り文句らしいけど、もうちょっとわかりやすくしたほうが、ホントになんもわからない店長さんにも優しいと思うけど?
 あれだと、ある程度わかってる人向けって感じですから。
 で、わかる人とっては、あれほど使いづらくてわかりづらくてめんどくせぇシステムねぇから!!


 しかしまあ、どうにかこうにかここへきて完成にまでこぎつけたってわけだ。
 これもまたひとえに、いい経験させてもらいましたってことで。


 でもやっぱ、なんだかんだ言って楽しいねぇ~、こういう作業って!!
 で、もしこれからショップ立ち上げようって方、でもそういうHTMLとかサイトデザインとかはわからないっていう店長さんいらっしゃいましたら、引き受けますんで、どうぞ遠慮なくメールからでもお申し付けくださいまし!!


 ってことで、もし良かったらみなさん、髪の毛でお悩みの方、エステ用品、美容室でしか仕入れてないものに興味のある方、コスメ関係に興味のある方はどうぞ行ってやってください。

 『チェルシーショップ


 で、ここもうちょっとこうしたほうがいいよとか、より良くするためのアドバイスお待ちしておりますんで、気軽にコメントにでも書いてくださいな。

フルコース

全然噛まずに飲み込んだ
ちっちゃいころから注意されてきたんだけれど
腹が痛くて涙が出てきた
なんだったのかも忘れてしまって
吐き出そうにも吐き出せない
よく噛まないから次から次へと入ってしまう
甘さも苦さも感じないまま
なんでもかんでも詰め込んで
満腹感も味わえない
うめきながらのたうちまわって 
初めてやり場のない痛みに気がついた
いつまで経っても消化不良だ

  • 2006年6月27日 15:04
  • 松田拓弥
  • Poetry

世界中の大きな大きなチビッコたち

「意外」

 必ずそう言われる。
 “子供?”
 俺が“好き”と口にすると、必ずそんな答えが返ってくる。
 意外だろうが、案外だろうが、子供はなにしたってカワイイもんだ。
 カワイイもんはカワイイ、こればっかりは譲れない。
 レジ待ちのとき、子供を抱いたお母さんが隣にいると、そのお母さんには気づかれないように、俺は必ず赤ちゃんにちょっかいを出してしまう。お母さんに気づかれたときは、笑ってごまかす。そして、お母さんが視線を前に向けたら、すかさずまたちょっかいを出す。また気づかれたら、また笑ってごまかす。
 正直言えば、そのお母さんには興味ない。話しかけられようものなら、お母さんの話には適度に相槌を打ちながら、もっぱら赤ちゃんと遊ばせてもらう。
 しかしまぁ~…
 そんな光景を見てるだけで、お母さんってのは嬉しかったり楽しかったりするんじゃないかと思われる…誠しやかに勝手な単なる子供好きの男の見解ってだけで、単に俺自身がそう願ってるだけかもしれまいに…見て見ぬフリをしてくれてるのかもしれまいに。
 でも、たいていが、お母さんは笑ってる。俺に話しかけずに、子供と遊んでるのを見て笑ってくれてるのだな…見守ってくれてるとでも言いましょうか…
 むしろ、そんなときは、俺も同じ子供として見られてるんだろうか。
 んでもって、そのときのお母さんの微笑みは、とても優しい…そんなお母さんは、どんなお母さんも、聖母でございます。
 さすがに“抱かせてくれ”とは頼めないから、何回も何回も赤ちゃんに指をにぎってもらう。あの感触がたまらない。ちっちゃけれど力強くて、固いけれど優しくて、ふわふわしててやわらかい…どうしても顔がニヤついてしまう。思いっきし抱きしめてやりたくなるけど、なんか壊れてしまいそうで怖くなる。
 そのとき、俺こそ加減を知らないクソガキなのだと思い知る。


 子供にじっと見られると、なぜか俺もじっと見つめ返してしまう。
 あのちっこい瞳の奥で、なにかドデカイ世界を見てるんじゃないかと、俺もその仲間に入れてほしくてそうしてしまう。
 でも子供はサッと顔を背けてしまう。
 探りすぎたか?
 子供にそっぽ向かれるほどに、悲しいことはない。


 目の前で子供に泣かれると、どうしていいかわからなくなってこっちまで泣きたくなるけど、ちょっと嬉しい気もしてみたり…
 ほんのちょっとでも、そのちっこいさらにちっこいそこに、俺に対する気持ちがわいたのかと思うと、もっと泣かしてやりたくもなる…でも、どうしてもそれは不可能。立っていたら、どっか座れる場所に連れていって隣に一緒に座ってあげたい。座っていたら、向き合ってあげたい。とにかく一緒にその手をつないであげたくなる。
 泣いてる子供もカワイイけど、やっぱり楽しそうに笑ってる子供が一番カワイイ。一緒に仲間に入れてほしいと感じてしまう。
 前に、そこで出逢えた知らない子供たちと砂場で遊んでいたら、そこにお母さんが現れて、その子を連れて帰ろうとしたとき、俺を見つめてその子が泣いた。今の今まで楽しそうに笑ってた子が俺の顔見て泣いてくれた…えらい嬉しかった。
 でも、レストランとかでビービー泣いてる子供はムカつく…そして、泣いてるその子をさらに怒る親はもっとムカつく。そこから力ずくでも連れてきて一緒にギョーザを食べたくなる。
 泣いてる子供をほっとくヤツが信じられない…子供ほど、泣いてる子供のそばへと寄っていく。
 その光景が一番好きかも…


 笑っては泣いて、泣いては笑って、笑っては笑って…
 天使よりも可愛らしい。
 立ち止まっては観察して、目を開いてはなにかを見て、目を閉じては眠ってて、尻をついては歩きだす…
 点と線よりシンプルだ。
 点と線で描かれたものより、点と線では描ききれない子供のほうが芸術だ。


 子供はデッカい嘘をつく。
 大人は小さな嘘を重ねる。
 なんか、100万人の大人を気取った人たちよりも、たった1人の子供のほうが、楽しくおしゃべりできそうだ…
 そんな気がした今日のこの頃…

  • 2006年6月26日 07:16
  • 松田拓弥
  • Essay

命の言葉

人が死ぬと 人は泣く
膝を折り 腰を縮め
その場に崩れ落ちてゆく
まるでその人の心を見ているようだ

人が死んでも 泣かない人
泣いてる人のあいだにたたずみ
その人たちに腕をまわし
時に中空をただじっと眺めていたりする

心の形がその人の姿そのものだったとしたら
その姿も決して嘘はつけないものだろう

顔では笑っていても心は泣いているという
目が笑っていないという
目が心を映しだす鏡というなら
体は心を偽る器なんだろうか

だけど体はどうしても正直だ
いつでも泣ける女優さん
心の呼びかけに素直になれるだけだろう
雨が降れば濡れるように
傘をさしても傘は濡れてしまうように

泣きたいときに泣けない人もいるだろう
言葉にすればするほどに
心の在り処がわからなくなる
見えてたものもかすんでしまう
体も心を超えられない

だけど言葉は時に心のなかにずっと残り 甦る
言葉がその心や体を支えるときもある

無力で儚い言葉であっても
今はまだない心のために
素直な気持ちを素直な言葉で
それを伝えられるのはそんな言葉なんだから
消えゆく言葉は見えないものを残してくれる

人は形を求めてしまいがちだけど
たとえそれが消えゆくものであったとしても
今ある大切さも忘れはしない
だから死ぬまで生きるんだ

人は命を想い 命に人は支えられる

  • 2006年6月26日 01:57
  • 松田拓弥
  • Poetry

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