単なる松田拓弥

 今の僕は、自分の夢に食われてる。
 未来の自分が、今の自分を食っている。


「作家になります」
 きっぱりとした口調でそう口にするたびに、同じことを自分に言い聞かせているんじゃないかという気になる。そうやって、自分で自分勝手に築きあげた中身にしがみついて、そこが空洞になってしまうのを食い止めようと必死になっているような、そんな感覚に揺さぶられる。そして、揺れてしまう。
<僕は、本当に作家になりたいんだろうか?>


 定石どおりに、ちょっと照れたように自分の夢を口にすることで、女の人にモテたいという下心なのかもしれない。雑誌で読んだし、少なからず自分の経験からもそれはわかってる。
 モテたいというのを全部否定すれば、それは嘘になるけど、それも少なからずあるとは思う。そういう一面。
 そこでいつも言われるのが、作家とかなら「就職して仕事しながらでもできるじゃない」だ。
 ごもっともだ。できないことでは、決してない。
 でも、そんなときの僕の用意している逃げ道は、これだ。
 “自分の時間”
 自分でもわかってる。ただ、怖い。
 就職して、それなりの給料とボーナスをもらって、それなりに可もなく不可もない安定した生活ができるようになったら、きっと僕は、そこに安住してしまう。悲しいくらいに、自分でもたやすく想像できてしまう。ホストでもやって、もし間違って月に100万ぐらいの収入が手元にくるようであれば、そんなことは想像するまでもない。
 そこまで意思の強いほうじゃない。それは自分が一番よくわかってる。言い換えれば、僕の意思なんてものは、その程度のものなのかもしれない。
 でもただいつまでも諦めきれずに、趣味と銘打ってやりつづけはすると思う。
 詩も、誰かに共感してもらいたいから書いてるんじゃない。認めてもらいたいからでもない。でも、その全部を否定すれば嘘になる。
 何でもいい。どんな形であれ、認められたい。「すごいね」って言われたい。お金もほしい。性能重視の日本車よりも、燃費は悪くても外車に乗ってみたい。メイドさんのいる家で大きなお風呂に入ってもみたい。たとえマズくても、キャビアとフォアグラを一緒に頬張ってみたいけど、そんな自分を励ましているんだろうと思う。

 人の弱さは自分のそれでもあったり、強さや涙、夢、恋愛にしたってそうだ。挫折してしまいそうなとき、つらいとき、失敗したとき、負けそうなとき、ただなんとなくでも、自分の思いを綴ることで、自分の言葉に励まされることがある。そしてそれが、誰かの励みになってくれたら、それが僕の励みにもなる。
 設定とかそういうのは想像でも、全部が全部それだけで書こうと思えば限界があると思う。思春期の少年のような想像力なら、今だってゴム風船並みにふくらまそうと思ったら思っただけ、いくらでもふくらますことができる。
 でも、そういう思いが少なからずでも自分のなかになければ、詩は書けない。それは僕だけかもしれないけど、その僕がそうなんだから仕方ない。
 もし作家がダメでも、今の生活に変わりはなくて、それなりの生活ができるようなら、そこに甘んじてしまうだろう。居心地のよさを探しまくって見つけたら、そんな自分に対する疑問符だってなんとか押さえつけてしまえるだろうと思えてくる。
 きっとそれは、解放するより簡単なことだ。

 ただ、平凡に二十歳をすぎたらサラリーマンっていうのがイヤだったっていうのもある。
 一年を振り返るたびに、その一年分の年と、自分に対する疑問符しか残らないなんていう人生は、想像するだけでうんざりした。定年するまで朝決まった時間に起きて、仕事して、ほとんど決まった時間に帰ってきて。残業のしすぎで恋人に軽口をたたかれたり、体のどこかを壊したりして。ちょっと突つかれただけでこぼしてしまうような愚痴にまみれた生活も、不満で散らかった部屋に帰るのも。
 本当にやりたいことがサラリーマンっていう枠でくくられることなら、それは仕方ないし、望むところだと思う。
「ただ思ってるだけじゃ、その思いは伝わらないんだよ?」
 いとこのおばさんにそう言われたとき、僕は思いっきり殴られたような衝撃を受けた。
 やりたいことは別にある。
 伝えたいことがたくさんある。伝えたい。そしてそれを伝えなきゃならないと自分勝手に思いこんでる。
 歌もやります。でもそれは、ただ僕が好きだから。歌ってるときが一番気分がいい。それ以外の言葉で表現できないくらいの幸せを感じる。
 でも結局は、これも同じだ。自分の思いを伝えたい。
 もし今、ほかの道に進んでいけたとしても、疑問ばかりを残すだろう。これだけは間違いない。
 自分の希望どおりにいかないのが人生なら、自分の希望を貫ける道を、自分で切り開いていけばいい。かなり安易だけど、それもできないことじゃない。就職して仕事しながら作家としてがんばっていくのと同じぐらい、できないことじゃない。
 きっと宝クジを買うようなもので、やってみなきゃわからない。もし今回はハズレても、また次がある。またハズレても、その次はある。次があれば、まだできる。ハズレるたびに落胆はするけど、そこで終わらせてしまったら次もなくなる。次はないと思って必死になってがんばれるのは、今がその次だと思ってやれるからだ。次がないっていうことは、そこで希望も潰えてしまうと同じだから。
 希望は希望のままで、希望のなかで死ねたなら、それはそれで本望かもしれない。
 でも今はそうは思えない。志半ばにして倒れたとしても、倒れたままで生きてやる。死ぬまで生きる。それが生きる理由であり、死ぬ理由であればいい。今はそう思う。
 今の僕が自分のなかで誇れるのは、唯一これぐらいだろう。これを失くしたら、もう本当に単なる松田拓弥っていう肩書きぐらいしか残らない。ただの僕しか残っていないだろうと思う。
 でも本当は、それだけあれば充分なんだろう。そうも思う。
 ほかになにがいる?
 僕が僕であるために、僕以外のなにがほかに必要なんだ?


 でも今、その単なる松田拓弥は「作家になります」と口にする。本当かどうかは自分でも揺れてしまうときもあるけれど、その思いを伝えてる。ただそれだけ。ただそれなんだ。
 今、単なる松田拓弥が、「作家になる」と言っています。

  • 2006年8月29日 02:01
  • 松田拓弥
  • Essay

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