「人様に迷惑かけずに生きていく」
まあ言うなれば、生きてるだけで迷惑だ。
存在そのものが迷惑な話。
そんな自分だけの物語を垂れ流しながら、我が物顔で歩きつづける。自分が主役の物語だ。
食べたらクソをたれ、ムシャクシャすれば人を殺し、思いどおりに運ばなければ戦争を始める。
人の身の上話ほど退屈な話はない。
僕はその人じゃないんだから。
その人も僕じゃない。
僕の過去は、その人が思いだすようには参照できない。つらいと言っても、その人にはとうていわかることじゃない。
それは僕も同じことで、その人がどんなに厳しい過去を背負ってきても、そしてそれをどんなに語り尽くしたとしても、僕が背負えるものでもない。
だけど、つらいことや苦しいこと、悲しいことがあったとき、自分にとって一番迷惑なことで自分が生きてるんだって思い知る。泣いたときに自分の涙を見てしまう。血が出たら、自分の血を眺めてしまう。
自分のものを他人の目のように眺めることができるってことは、そこには必ず僕がいて、そこで生きてるってことなんだ。
どこかの誰かがたれたクソも、どこかで誰かの生活を支えてるわけで……
人に迷惑かけることが生きてくことなら、僕には迷惑なんてものはない。迷惑だなんて思わない。
退屈な話にうなずきながら、迷惑な時間を過ごしながら、そのとき僕も迷惑なことをしてるんだ。
わかりもしないことなのに、わかったように首を振る。ああでもない、こうでもないと意見を言う。
どんな過去を乗り越えてきたとしても、めぐり逢えたのは今なんだ。
それまでに目を背けてしまったら、これからを見るなんてできっこない。
どんなに長い年表で、戦争や事件ばかりが並んでいても、そのすべては人間たちの歴史なんだ。
文化や景色のことじゃない。
愛しい人が生きていた、そんな証拠が歴史なんだ。
ましてや書き換えられる歴史なんて、しょせんは本ってことだけで、まるで意味のないものなんだ。
聖書だって古本だ。
いくらでも本屋さんで売り買いできる。
“書き記す”ってことに、どれだけの価値があるだろう?
言葉をたくさん知ってたり、文字の読み書きができるっていうことで、どれだけの人に迷惑をかけてきただろう?
どんな自分勝手を言ったとしても、迷惑をかけられる人にも限りがある。
どんなわがままだって、許してくれる人がいる限り、それはわがままだなんて言えないんだ。
生きててほしい。
生きていきたい。
生きていたい。
そんな生が愛しいから。
誰かのためじゃなくていい。
ただ生きていてほしい。
そんな単純なことを愛と呼んでいきたい。
生きること。
迷惑かけて生きてくこと。
まあ言うなれば、死なれるほうが迷惑だ。
- 2006年8月28日 00:58
- Essay