戦争

 まるで意味がない。

 宗教問題とか、人種問題とかで、いろんなところで、いろんな戦争が起こってる。

 まるで目的もない。
 もしあったとしても、それが達成されたこともない。
 1つのそれがもし達成されたとしても、また別のそれが湧いて出てくる。

 キリスト教の歴史とか聖書がどうのこうのとか、人種に関する歴史とか運動とかその背景とか、そういう深い部分については学校の田植え授業で習ったぐらいしか知らないけども、でもそれからなぜ殺し合うことになるのか、まるで理解できない。

 お互いに、なぜ批判するの?

 認められないのは、どうして?

 全部は認められないかもしれないけど、尊重するぐらいはできそうなもんだ。
 人間なんだから。
 本能だけで生きてるんじゃない。頭で考えて、ワンクッション置いてから、行動に移すことができるはずだ。

 単なる表現の問題っていうこともあると思う。
「唯一全能の神」
 そんな表現を使うのは間違ってる。
 誰の心のなかにも“神様”っていうのは存在する。排他的な表現はダメだ。
 もし“全能”と呼びたいなら、 唯一の自分を守ってくださる全能の神”といったほうが、まだ認めてるっていう範囲内にあるんじゃないかと思う。
 神を信じてないわけじゃない。その存在を感じたこともある。でもそれは、自分のなかにしかなかった。感じられなかった。
 困ったときには、誰もが神にすがる。自分の手に負えなそうな問題にぶち当たったとき、俺も神にすがってみたことがあった。
 解決した。
 でもそれをなし得たのは、神が存在したからじゃなかった。やったのは、結局自分だったからだ。
 否定はしない。
 でも、肯定もしない。

 ただ、居てほしいなぁ~と思うぐらいだ。自分こそ、自分にとっての全能の神と言えないだろうか?
 自分のやりたいことも、自分の思うこと感じることも、全部においてコントロールできるのは、自分しかいない。
 自分のことは、なんでも手にとるようにわかるし、その手にとれるのだから。
 でも、俺のことなのに、俺よりも詳しい人を探すことに人生を費やしてもいる。
 それは、絶対に俺は1人だけじゃ生きていけないからだ。

 俺は弱い。
 俺も弱い。

 でも、きっともうなんだかんだと神様にすがる必要さえなくなってきてる、ただそれだけなんだとも思う。


 それにしても、きっとそんな戦争を起こしてるのは、どこの国でもたいていが“男”だと思うんだな…
 “女の人”は、きっとそんな公園の噴水みたいに血がふきだしてる光景なんて望んでないはずだ。心のなかでは、その他のいいところも悪いとこも受け止められてるはずだと思う。
 その他を批判するのも、けなすのも、そのほとんどが男だと思う。それで怒って戦争になり、けなしたやつを殺しに行く…それが戦争に発展するんじゃないかと思う。
 なんの知識もない俺が断言するのもおかしな話だけども、戦争ってきっともっとシンプルなもんだと思う。

 殺された→殺しに行く→殺された→殺す→絶対殺す→やっぱり殺す→いざ出陣

 あるいは、こうか。

 俺はこう思う→俺は違う考えだ→へぇ、でも俺はこうなんだ→いや、おまえが間違ってる→いや、おまえだ→いや、おまえだ→おまえが間違ってるんだ→いや、おまえだ

 お互いが“復讐”とか“絶対”っていう感情から抜け出せてないだけなんじゃないかと思うわけだ…
 人が大切に思ったり感じたりしてることを、たとえそれを自分が理解できないからって、批判とかけなしたりなんて絶対にダメだ。
 自分を卑下したからって、別の人も卑下していいってのもおかしい。
 人の心まで支配しようなんて、もってのほかだ。

 でも女の人は、そんな男の人を認めることができるだけの器があるんじゃないか?
 新しい生命を抱えて、なおかつ自分の生活も送れるだけの器が、生まれながらにして備わってるぐらいだから…
 それで自分の子供や家族に平和で安心できる生活が送れるという保証があるなら、わからない。
 でもほとんどが、家族や子供や、友人までもが危険にさらされてる。
 男は、自分が認められない、理解できないものがあれば、ただそれをつぶして、さらにはそれすら支配しようとする。んで、支配下になれば、そのいいところだけを吸収して、いらないものは全部切り捨て御免だ。
 かといって、男が劣ってるとも思わない。
 つまり、自分が理解できるものだけを、自分のまわりにはべらせておきたいってだけだ。

 “聖戦”なんて名のもとに、お互いが殺し合い、お互いの血を見て満足してるだけに過ぎない。あるいは、その人を自分が殺したことによって、その人の考え方とかまで殺したと思いこんでるだけだと思う。
 そんなに人の心を支配したいか?
 それは実際には、その戦争を起こしてる人が一番よくわかってるんじゃないかと思う。
 支配されたくないから、そうやって支配しようとする人間と戦ってるんだから。自分の大切な文化とか誇りを支配されたくないからだ。
 認めてほしい。
 尊重してほしい。
 それを望んでるのは、みんな同じことなんだから。

 本当に自分の名誉や誇り、そして何より自分の家族を守りたいなら、お互いを認めて、お互いに尊重し合うことだと、俺は思う。
 そやってそれらを築いて得てきたんだから。


 ただ、こうやって口で言うだけなら本当に簡単なことかもしれない。
 でもこれは、本当に1人1人の意識の問題だから、行動に移すより、壁とか運動とかみんな取っ払って、まずはそう思うことから始めるべきだと思う。法律でいくら決めたからって、個人個人がそれに気づいて認めなきゃ、なにも変わらない。

 戦争は、まるで意味がない。
 宗教でも人種でも、お互いのことを認めて、お互いのいいところを尊重し合えばいいだけの話だ。
 批判したり、けなしたり、つぶそうとしたり、それを支配しようとするから、戦争になって殺し合いになる。

 その人にとって、大切なものは、人それぞれにある。

 たとえば、何十年か前に発売された切手は、俺にとっては使えなければただのゴミなだけだけど、収集家にとっては貴重なものになるだろう。
 それと同じだ。
 でも、それをお互いに認めて尊重することができれば、全部とまではいかずとも、ほとんどがキレイな円のなかにおさまるんじゃないかと思う。
 その人が持ってる俺が欲しい何かと交換すればいい。それか、俺にとっては単なるゴミなんだから、その収集家さんにあげたらいい。


 戦争が一番の戦争なんじゃなくて、きっと、戦後が一番の戦争なんだと思う。それは、戦争を起こし、戦った人たちが一番よくわかってることじゃないか?
 自分の愛する家族を捨ててまで守るべき国ってあるんだろうか?
 愛する家族と過ごせるならば、きっとどこの国でも暮らせるだろう。
 敵は、的と違う。
 たとえ敵国の人たちでも、みんながみんな的じゃないだろう。
 血で血を争うことはない。
 民族の違いと言ったって、今はもうそんなことはどうでもいい。白人と黒人が同じグループ作って歌をうたえる時代だろう。
 軍事大国なんて1つもいらない。
 そんなアメリカから自分の国を“守る”ためのミサイルを作ってるだけだとしたら、どうする?
 同盟だの条約だの言ってるけど、結局なんのそれなんだかわかったもんじゃない。
 戦争だって、所詮は、資本主義の延長だろう?

 それがもし大切と感じる人がいるのなら、それを大切にしてくれる人に、渡せばいい。
 それがもしお互いに大切なものなら、そう感じる人がみんなで共有すればいい。

 意見なら、いくらでもしよう。
 いくら自分が、それを理解できなくとも。
 意見なら、いくらでも聞こう。
 いくらみんなが、それを認められなくとも。


 俺は戦争を知らないけども、でも、もう戦争はしないでほしいと心から望んでる。

  • 2006年8月10日 02:41
  • 松田拓弥
  • Essay

ランキング参加中なので。

  • 人気ブログランキングにて俺様を応援するためのクリック用小バナー
  • ブログランキング・にほんブログ村へ
  • BlogPeopleの応援用バナー:人間・哲学
  • BlogPeopleの応援用バナー:自分のこと
  • BlogPeopleの応援用バナー:芸術・文学

コメントありがとう : 0

コメント投稿用フォーム

トラックバック : 0

これにトラックバックを送信するための URL
http://www.matsudatakuya.org/tm/mt-tb.cgi/317
トラックバック一覧
戦争 from Love Life

Home > Essay > 戦争

Search
Feeds
ランキング
人気ブログランキング

人気ブログランキング

にほんブログ村
ブログランキング・にほんブログ村へ

にほんブログ村

BlogPeople

BlogPeople:自分/自分のこと

BlogPeople:人間・哲学/人間考察

BlogPeople:芸術・文学/小説家予備軍

Creative Commons License

Creative Commons License

Creative Commons

トップへ戻る