必要よりも、不必要

 俺は、努力ってのが嫌いだ。
 むしろ、人聞きだけはものすごくいい努力なんて、ホントは必要ないと思う。

 親とかは、勉強を努力だと勘違いしてるみたいだ。んでもって、勉強は学生の仕事だなんぞ、あまりにバカげた解釈だ。じゃあ学校行って勉強したら、小遣いぐらいくれてもいい。そして、勉強を努力と呼ばないで欲しい。
 好きな教科だったりすれば、それは努力でもなんでもなく、限りなく【趣味】に近いと、俺は思う。
 嫌いな教科を勉強するのは、それは単なる【強制】でしかないのだから…

 俺は【倫理】という教科が好きだった。いっつもソレの資料集を読んでたような記憶しかない。
 この上なく楽しかった。勉強なんていう感覚もなく、努力してるなんてことも感じたことはなかった。ただただその、昔のいろんな人の思想や哲学が楽しかっただけだった。
 “あ、なんかおまえ、おれと似てんな”とか“あんた、すげぇな”とか……
 あとはまあ国語ぐらいなもので、読み物だけ読んでたっけか? 国語の資料集も読んだりしてたな…短歌とか俳句の、読んでくときのあのリズムが良かった。
 たまに古文の『変形』だけ読んでは、1人で笑ってたかもしれまいに…。

 いい大学に入るため、志望校に合格するため、親に褒められたいがために、仕方なく頭の片隅にガビョウでくっつけとくだけのものでしかなかった、それ以外の嫌いだった教科たち…あれなら別に先生なんていらない。
 教科書読みながら家でやって、わかんないとこがあったら職員室まで出かけてって「先生、コレわかんない」って訊けばいい。それでもわかんなかったら、最終手段として教科書の内容を全部丸暗記すればいいだけの話だ。教科書に全部書いてんだもの…
 まあ高校最後の年は、教科書のカネを、突如思いついてしまった友人たちとのピザパーティーに全部使ってしまって、教科書なしで過ごしたが、特に困ったという記憶もない。せいぜいテスト範囲のコピーが面倒だったというぐらいだった…
 んでね、《教科書ガイド》なる虎の巻をあとから別に販売するなら、最初っからそっちを売ればいいと思うんだが?
 よくよく見てみりゃ、先生たちもそれを使って授業をしてやがる。
 所詮、教育というやつもビジネスとしか見ていないということではなかろうか…今のこんな状況なら、諭吉もきっと千円札ぐらいの価値しかないのかな…


 学校で何を学んだか?

・点数の稼ぎ方
・目上の人との付き合い方
・人の使い方
・セックス
・我慢

 …あまりいいことがないので、もうやめる。
 成績は、その教科の先生と仲良くしてれば自然と上がってくもんだということは、学生生活のすべてを通してわかったこと。
 あとは、テストの点数次第だろうな…出席以外の義務さえこなしてれば、たいていは成績が良くなるんだもの。授業さえ出てりゃ、成績もよくなるなんていう教科もあった。
 学校のシステムのなかで一番便利な機能であり、ちょっと悲しいところ。

 人から教えられることじゃない。ましてや、押しつけられてやることなんかじゃ、決してない。そんなことはあってはならないと思う。
 勉強とは、自分で学ぶものなのだから。

 勉強はつまんない。
 確かに。
 でもそれは、それが嫌いなものっていうだけだ。
 嫌いなら、好きになればいい。好きなものなら、だれからも言われず頼まれもしてないのに、すすんで自分からやりはじめるもんだ。
 俺は、証明とかは好きな範囲内だったのだけども、どうしても算数ができない感じだったから、あるとき心のなかでは吐き気がするほど嫌いとしても「頭だけでも好きになればいい」と思いなおした。それでそれまでよりは、いくらかマシになった。
要は、考え方の切り替えってだけだった。数字なのに、それを文字として考えてたからだった。そうなる理由とか他のいろんなことまでとらえようとしてた…時には、その公式のレイアウトまで考えたことまであった。レイアウトがイマイチだと、何回もその公式をノートに書いてたこともあった…

 かといえば、たとえ好きな教科でも点数が悪いということはないだろうか?
 まず、ない…もしあるとすれば、技術のほうがついてこないってだけだと思う。せめて知識だけは豊富になるはず。
 その昔、『月刊バスケットボール』っていう雑誌があったときは、将来まるで役にも立たないし、さらには、ダニも寄りつかなそうなそのときしか自慢の種にならないような知識だけはすごかった。パッと見ただけで、そのバッシュの名前をフルネームで言えた。型番まで憶えてたっけな。
 あるいは、ホントは好きじゃないかのどれかだろうなぁ~…


 将来、カネが欲しけりゃ、自分の得意なものを伸ばすに限る。
 将来、楽しくいきたきゃ、自分の好きなものを吸収して精進するに限る。


 話を戻そう。
 俺は、努力が、大嫌い。
 というより、嫌いなものが嫌いってだけだ。
 好きなものをもっと吸収しようとか、もっとやってやろうとかいうのは、それが努力だなんてミジンコも感じてないからだ。
 今やる必要なんてないものが、俺の好きなものには多い。そのときは不必要なものが、俺にはそのとき必要だったりするわけだな…

 …そのときやるべきことは、そのあとで、やりたいときにやれたらいいなぁ~…

 そう思う…

  • 2006年8月 5日 02:57
  • 松田拓弥
  • Essay

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