その理由に濡れた朝露

 部屋に帰ってきたら、まずパソコンをつける。何よりまず、パソコンをつける。
 そして、心のなかで誰かがお経を唱えるてるようなブイ~ンって鳴ってるのを背筋に感じながら、その日着ていた服を脱ぎ、きちんとハンガーにかけて、部屋着になる。
 椅子に座って、タバコに火をつける。音楽をかける。とりあえずコンポに入ってるCDをそのままだ。
 階下に行って、ジュースか麦茶かウーロン茶をグラスに注ぎ、ブラシで手を洗って、また部屋に戻ってきて1本めのタバコを灰皿へ。
 そして2本め……


 頭がおかしくなりそうだ。
 誰もいないベッド。まわさない扇風機と、開け放たれた窓の外から聞こえてくる真夜中の声。風。雨。スピーカーから聴こえてくる聴き慣れた歌声。働かない脳ミソ。なんのために詰まってるのかもわからない。
 なんも考えてない。
 ただ指先が心のままにキーボードを打ちつづけてる。だけど感じてるのは、それはまるで心のない機械のようだってこと。
 頭でなにかを考えるのは、いつもそのあとだった。

 頭経由で恋をする人もいるだろう。
 そのために脳ミソがあるという人もいるだろう。
 頭で考えるのは、きっと人を数字にすり替えるときだけだろうと思う。
 頭で考えるより、心で感じていきたい。

「脳ミソが人間そのものだから」
 そんなことを言う人がある。
 間違いじゃない。
 だけどそこには夢がない。
 じゃあ、なんのために“心”なんていう言葉ができた? 耳に心地いいし、何より心に心地いい。
 それなら“魂”なんてもってのほかだろう…
 魂の抜け殻を集めて、人の脳ミソなんてできやしないだろう?
 意味なんてない。
 きっと理由なんてないんだろう。
 無条件であるのが、ありつづけるのが、きっと心なんだろう。

 いつもどおりのパソコンの画面と向き合って、嘘ばかりを並べ立てて、そこに安らぎのような自分のなかの虚像を浮かべては消していき、また浮かべては消していく。

 なにを腹に抱えているの?
 なにを心に抱えているの?

 悲しみ?
 喜び?
 …からっぽ?

 今はなんでかわからないけど、歌が欲しい。
 自分にはなにが一番必要かと考えたとき、それはすぐには浮かばない…
 でもそんなときはたいてい鼻歌が自分のなかから流れてくる…

 歌に癒されるとか、その歌詞に癒されるっていうなんてことは、まずない。そんな経験は今までに1度としてなかった。
 アーティストや歌ってる人や人気や流行で決められる歌に、そんなに簡単に自分が思ってることや感じたことは重ならない。
 というこの言葉も、いっときの流行歌の歌詞なんだから。
 そんなとき、自分で自分の歌を作りたいと感じることが多い。
 1度、その日の日記を“歌”にしてみようと試みたことがある。でもできなかった。歌にも歌詞にもできなかった日がすぐにあったからだ。

歌詞を書くことは、そんなに大変なことじゃない。自分の感じたことをそのまま言葉に託せばそれでできあがってしまう。
 歌はうまくなくたっていい。売れなくたっていい。
 それが歌なら、それはもう歌なんだから。

 本当にその歌詞がよくてCDを買う人は、あまりいないんじゃないかと思う。ヒットチャートに上らないとその歌を知ることもないだろうし、その人の詩集だけが出てもそれを買うとも思えない。
 それは、自分で歌詞を書くようになって初めて気づいたことだった。
 歌詞は書けても、そのメロディーが、その日その日で変わってゆく日記のように、自分の気持ちだったり景色だったりが、全然変わらないのがつらかった。
 心地いいのは旋律で、心が揺れてしまうのが歌詞だと気づいた。

 俺はなにもわかってなかった。
 たまに本気で死んでしまいたいと思うことがあった。ふとしたときにそれは突然やってきた。
 街中をぶらぶら一人で歩いてるとき、すれ違う他人と一瞬だけ目が合ったとき、部屋でタバコを吸ってるとき、それはいろんな日常のなかで俺を襲った。
 でも、人の死っていうのは、もっとも非日常でありながら、もっとも日常なものなんだと思える。
 誰もが人はいつかは死ぬとわかっていながらも、人の死には「あり得ない」がつきまとう。
 そんななかで“自分の死”っていうのを考えてしまったとき、どれだけの人が「あり得ない」って言ってくれるかということも考えてしまう。死にたいとか消えたいとかを考えながらも、生きたいとも強く思ってる自分がいる。
 死と生が裏腹なように、常に裏腹であることこそが生きてるっていうことなんだと思う。
 だから自分が生きてるうちに、人の死っていうやつと真剣に向き合うっていうこと自体があり得ないんだと思う。

 生きてくための理由を探しながらも、死ぬための理由も探してる。
 どっちもなかった。
 それが現実だった。
 なにから逃げたかったのかもわからないけど、それが自分に突きつけられた現実だった。
 自分は誰からも必要とされてないとか、生きてる理由がわからないとか思ったりした。夢がある。それに向かって進んでるつもりだけど、いつまで経ってもそこに近づいてるのかも実感がわかないし、やがては近づいてるはずがどんどん遠ざかってるんじゃないかと思えたりもする。
 人がいて、話すことも視線すら交わさずにすれ違って、そればかりを繰り返して…
 これだけ人がたくさんいるのに、自分が知ってるのは、知りえるのは、ほんのひと握りほどにもいない。そのほかの人は、もし自分が死んでも涙も流さないだろうし、そんなこと知りもしないだろうし、知る由もない。
 他人はあくまでも他人以上にはなりえない。ほんの少し話したぐらいじゃ、きっと“知人”っていうレッテルを貼ってその記憶の抽斗のなかの片隅にしまってもらえるぐらいだろう。
 それが急にむなしくさえなる。
 結局は「他人は他人、自分は自分、仕方ない」という世の中で、自分がどれだけのことを伝えようとしても伝わるはずがない。すべてがムダだとは思わないけど、そのほとんどがムダに思えてくる。
 そんなとき、自分に問う。

<なんのために生きていくの?>

 宝くじを当てるよりも低い確率の自分の人生に、どんな意味があるの?
 サイコロ振ったところで、出た目は、いつも同じとは限らない。
 でもそれと同時に、自分に問う。

<じゃあ、なんのために死ぬの?>

 誰にも愛されてない、愛せない、気づいてもらえない、知ってもらえない、必要とされてない。裏切られるのが怖いし、孤独になれば不安だし、もし自分が消えても誰も涙を流さないなら、せっかく自分にもある涙は誰のために流せばいいの?

 理由なんてなかった。
 生きることにも、死ぬことにも。
 居つづけることにも、消えてしまうことにも。
 理由もなく死のうとするのは、むなしいだろう。
 と、そう感じること、それすらもむなしくなるんだろう。
 生きてることに理由が見つからないから死のうとするのも、きっと同じだ。
 もしも見つかったとして、だからどうするの? その理由でなにができる? その理由で自分を生かすことができるのか?
 生きるだけなら、少なくとも今までだってできてたことなんだから。

 1度なにかを考えだすと、なにもかもが疑わしい。
 自分がそうやって思ってることすら、今じゃ何もかもが疑わしくなる。自分が生きてることすら疑わしかった。見えても呼吸できても考えてても、それ自体も疑わしかった。
 でも、消えてしまえば、そうやって疑うこともできないし、疑い自体が消えてしまう。
 自分が消えてしまえば、自分のなかにある自分のことも消えてしまうと思えたとき、そっちのほうがむなしいと感じた。
 自分が生きてるってことに気づいてほしいと思いながら、それを自分から消してしまうことのほうが、よっぽど悲しかった。
 なにもできない無力な自分。自分の存在意義すら見出せない自分。
 こうやって思ったり感じたりすることすら、むなしいと感じてしまうむなしい自分。
 ただただ、むなしさがこだまする。
 でも、信じたい。


 また生きていこうと思う。
 涙が枯れてしまうほど泣いたあの日を思いだせば、もう涙を流すことが怖くなる。傷つくのが怖くなる。傷つけられるのはもちろん怖い。でも、逆に傷つけるのも怖い。
 自分では知らぬ間に傷つけてしまった人たちに申し訳ない。そんなことはしてないとは言い切れない。
 完璧な人間なんていない。それを操作する人がミスれば、ロボットだってミスをする。
 言ってしまえば、神様だってブサイクだ。見たことはないけど、きっと眉毛の手入れも髪の手入れもしてないでしょう。
 もしかしたら、カントン包茎かもしれない。女性であれば、きっと隙間に無数のパッドっを入れまくってるはずだ。
 ホントは、“人の不幸は蜜の味”ってあの言葉、神様が作ったものかもしれない。

 枯れてしまうほど泣いても、涙は枯れてはいなかった。
 この涙が流れなくなるまで、俺は生きていこうと思えた。
 我慢しても我慢してもどこかから涙があふれてくるうちは、俺はまだ死ねない。
 所在も理由もわからないけど、そんなのいらない。
 自分のためにも、人のためにも、せっかくもらった涙があるまでは…
 もし朝露とそれを見間違えても、それはきっと幸せだろう…

 だって俺は、生きてんだから。

  • 2006年7月24日 23:55
  • 松田拓弥
  • Essay

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