自分のためにだけ

 でもやっぱり違ったみたいだ…

 自分のためにこうやって毎日まいにち飽きもせず書きつづけてたのは、それは確かだ。
 だけど、それだけじゃない。自分に向けてだけじゃなく、人に伝えたいことがあるから、こうやって書いてる。
 それに気づいた。
 自分のためだけに書くのなんて、やっぱり書いててつまらないし、息が詰まる。だからこうやって、たいしてわかりもしないホームページってやつを作ってそこに書いてってるわけだ。
 見てほしい、わかってほしい、伝えたい、伝わってほしい、そう願うから、こうやって書いてるんだと思う。

 “自分のためにだけ”?

 今日はその文句がおかしかった。けっこう文句の垂れ流しは多いけど、ちょっと笑えた文句はこれぐらいだと思う。
 まあ、変えたのはだいぶ前だけど、それにはっきりと気づいたのは今日だった。今日ほど自分がバカだと思えた日はなかった。

 伝えたいことがたくさんある。だから書く。伝わるまで書くと思う。
 でも、その受け取り方は人それぞれあると思う。俺は「がんばってほしい」と思って書いたのに、傷ついてしまう人だっているかもしれない。だったら、その傷を、今度は微笑みに変えたい。
 変えたい。変えたい。変えたい。

 時には、自分が書いたことを全部、冗談で笑い飛ばしてほしいと思うことさえある。
 伝えたいことがある。
 カネも名誉も賞も、何もいらないと言えば間違いなく鼻が伸びるだろうけど、でも、伝えたいことがあるから書く。
 “哲学”とか“感性”とか、そんな大きなものじゃないけど、小さくてももっと大切なことだと思う。

 “感じたこと”
 “思ったこと”
 “心のなかに残ったこと”

 歴史に名前を残したいとは思わないけど、いや、残してくれるんなら残したいし、残るようなものを書いて残したい。
 でも、そのうち僕が死んで、そのあとで生まれた子供たちにも、1度でいいから俺の名前を呼んでもらえたらなぁ~…なんて思うことがある。
 本屋さんでたまたま手に取ったその本の一番最後に載ってる名前を、ちょっとでもいいから憶えててもらえたらなぁ~…とか。もうちょっと欲を出すと、その本を友達にもすすめてくれたりなんかして。
 とにかく、人の心のなかに、その片隅にでも、影だけでもいいから、残ってくれたらすごく嬉しい。名前は知らなくても、その俺がこうやってどこかにでも書いてた“言葉”だけでも、残ってくれたらと思う。
 歌詞を書いたりもしてるけど、その人のお孫さんにも口ずさんでほしい。そんな歌を作りたし、そんな言葉を書いていきたい。


 でも、こうやって毎日やってると、実際にけっこう書くことがなくなってくる。
 それって、あまりにくだらなくてあえてこうして人に公開して伝えたいとか、そういう必要はないって、自分が決めてた。
 そういうときは、自分に問いかけてみたりもする。

 なんのために書いてるのか?

 でもそういう単なる自分の日記でさえ、伝えてみたいっていう気になることだってある。
 つらいことがあったり、さみしくなったり、悲しかったり、楽しかったり、いいことがあったりしたときは、それも自分がいるっていう証に思えたりもする。
 でも人の日記なんて見たって、おもしろくも何ともないし、“俺はきょう晩御飯に納豆を食べた”なんて書いたって、それを見た人の心に残るかどうか疑問だ。
 もし残ったとしても、“へぇ~、納豆食べたんだぁ~”ぐらいだろうし、“あ、そういえば私もだ!! イソフラボンジュ~ル”なんて共感のしかたをしてくれる人は、そうそういないだろう。
 でも俺にとっては、それも自分がいたっていう大切な記憶だったりして…

 【別の人にとっては単なる“ソレ”でも、その人にとっては“アレ”になる】

 今になって思えば、“自分のためにだけ”っていう言葉を選んだのは、実は、ホントにその夢をつかんでしまうのが怖かったのかもしれない。
 もしここから誰かが「イイね」と俺に声をかけてくれるかもしれないし、なにが起こるかわからない。
 でも「そんなのほんのひと握り」と笑われるかもしれない。目を覚ませとか、夢見るなと笑われる。自分の親にもそう言われた。
 でも俺は、それでもいい。笑ってほしい。あまりうまく説明できないけど、自分は、たとえ“笑われてる”っていう感覚でも、まわりの人には笑っていてもらったほうがいい。
 不安が少しは薄れるし、自分もなぜか笑いたくなる。意味なんてわからなくたっていい。生きてくことや自分の存在に理由なんてなくたっていい。
 自分のやりたいことや、自分がやってることに、そこに“理由”を見つけられれば、なんとなく自然に“生きる”っていうことにも理由がついてくるような気がする。
 夢って、けっこう希望だったりするから。

 でもその“夢”ってやつが、いざ現実になるかもしれないって思ったとき、なぜだかふと怖くなったりする。嬉しいはずなのに、なぜか怖くなったりするときがある。
 それこそが夢で、希望だったり、光だったりするから。
 1つ不安が消えれば、今度はまた違う不安を探してしまうように、それまで追っかけっこしてた“夢”をつかまえたら、今度は何をつかまえたらいいかわからなくなってしまうんじゃないかっていう、独り鬼ごっこみたいな…なんかそんな想像をしてしまう。
 光を失ったら、あとは闇しかないのだから。
 でもそれも、1つのアメをもらったら、もう1つ欲しくなるように、夢はもっとどんどんふくらんでいくんだろうなぁ~…光がないところにいれば、人は、自分で光を探すことができるのだから。
 いやきっと、どこかの光じゃなくて、自分自身で光を作りだそうとするんじゃないかな。

 でも、こういう“不安”ってやつが大事なんじゃないかと思う。それを失くしたら終わりなんじゃないかって…
 不安がないと、きっと俺は動けない。そこから何も動けなくなると思う。
 そんな想像を今はじめてしてみたけど、なんかすごく怖くなった。
 不安を消したいがために、こうやっていろんなことを書いてはいろんな人に伝えよう伝えようとしてるのに、その不安が消えるときのことは想像したくないと思った。

 この胸の不安を消すようにキスを重ねたけど、この胸の不安はどんどん重なるばっかりで、消すことよりもそれを探しているかのように。
 この胸に詰まった伝えたいこと、いくら言葉を使っても伝えきることなんてできなくて、それも一緒にと伝えたいことがもっと増えてゆく。
 この胸の奥に眠る夢、それはまるで影を浮かび上がらせる月の光ように輪郭だけを映しだしてる。自分で描いたものなのに、それを手にして触れることすらできないのかと、またその夢を胸の奥に眠らせては輪郭だけを鏡に映す。

 夢があるなら、自分からは何があろうと捨てたくない。
 自分にだけは負けたくない。ほかの人にも負けたくない。
 闇のなかでせっかく見つけた光なのに、またそれを捨てるなんてできはしない。
 闇のなかでは何も見えなくなってしまう、そこにいるはずの自分でさえも…


 きょうこそ“自分のためだけに”って感じの内容になってもうた…
 なんかケータイ用のほうと内容がかぶっちゃってる感じがするけども、まあそんな日もあるさってことで、きょうはもうやめとこう…
 自分でもなにを伝えたいのかさっぱりだ。
 伝えたいことがありすぎて、どうやら今日はうまく舌が噛み合わなくてカミカミらしい…

 ってことで、やっぱり違ったみたいだ…

 今日は寝ずにレンタルショップへ出て、ひさびさにCDを借りて、なにを伝えたかったかがわかった。

【誰かに伝えたいことをこうして書きつづけることが、いつかやがては自分のためになる】

 そう信じていたいと思うのであった…。


 そしてまた戻して、今は自分のためにだけ読み返してみた。
 やっぱり日が経つと、同じ文章で同じ書き手なのに、そこから受けるニュアンスがまるで違う。自分で書いたとは思えないぐらいだ。
 でも、こういう自分のことなのにそうじゃないと思えるほど刻々と変化していくことすら伝えたいと思える。
 不思議なもんで、これ、読んでくうちに文字が勝手に入れ替わったり、動いてたり揺れたりしてるような錯覚になる。
 これって文字でしかいろんなことを理解できないんじゃなくて、言葉がそれに合わせて変化していってるんだと思えてくる。
 これから先、いつか僕が本を出すようなことがあれば、自分で自分の本を買うだろう。

  • 2006年6月16日 23:37
  • 松田拓弥
  • Essay

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