2006年5月の文章リスト

“ 2006年5月 ” 分の文。

Will

言葉で気持ちを伝えきるのは難しい
なにも言わずに抱き寄せるより
“愛してるよ”と素直な心で踏みだせない
言葉はいつも気持ちの奥でにじむけれど
想いのすべてを伝えるのには足りなすぎる
一緒にいられるだけで幸せだけれど
不安で心が置いてきぼりで
笑顔の裏でそこに嵐のようにたたずんでいる

今のつらさは自分が一番感じられる
だけどそれに気づいたときには
ホントに傷む胸を抱えているのは誰なのか
それも自分が一番わかってる
想い出重ねて傷も生まれて
そこに幸せみたいな気持ちが芽生えて
一番キレイな笑顔が咲く

愛なんて存在すらもわからないって言うけれど
わかろうとすればするほど見えなくなるよに感じられて
自分で探せば探すほど求めれば求めるほど
その気持ちの下に隠れてしまって探してるモノより
その指先に触れてくものだけ拾い上げてしまってる
見えないものほど見ていたいし この手で触れて感じたい
ただ何だろうってひたすらに探して求めるだけより
いつかふと目をやった先でそれがぼんやり見つかるまで
それがそれとも気づかないよな愛のカタチが見れればいい

ただそれは今はまだ自分のなかにだけ
輪郭さえも曖昧で存在すらもまるでなにかの影みたいに
幸せと傷みが共存しているなんとなくの優しさを
ちょっと古びた小さな明かりを灯したような優しさを
きっとどこかで
いつかどこかで
自分に素直な自分の気持ちを伝えてゆこう

  • 2006年5月18日 04:48
  • 松田拓弥
  • Poetry

青色の水

それはまん丸の花瓶のなかに入っている。

いつも倒れそうで倒れない丸い円い花瓶の中に入ってる。

大きく揺れることもあるだろう。

静かにたなびくこともあるだろう。

もしかしたら、それはもう倒れてしまっているのかもしれない。

倒れてないとは誰にも言えない。

ただ青色の水がそこにはある。

もしかしたら、花瓶すらないのかもしれない。

それがあるとは誰にも言えない。

見えるものがすべてじゃない。

  • 2006年5月17日 05:07
  • 松田拓弥
  • Poetry

………

ホントはすごくつらいだろ?

…弱音吐きなよ

ホントはそんなに強くないだろ?

…泣いたっていいんだよ

  • 2006年5月17日 00:26
  • 松田拓弥
  • Poetry

トンネル

昔あそんだ近くの公園
ふと止めた靴のつま先
小さな石が大きな音を立てていた
ふと見た砂場の子供たち

みんなでトンネル作ってた
一生懸命作ってた
みんなで汚れて
みんなで笑って
楽しそうに作ってた

つながったトンネルの向こうで友達の手に触れた
笑って 笑って
大きな声で笑ってた
嬉しそうに笑ってた

いつかの景色が僕の足もとすり抜けたけど
今はだれかの舌打ちすらも聞こえない
風が僕にむなしさ連れて
消せない景色を求めてる
見えないボールを探したあの日

今度は僕が舌打ちしてた
そしてまた歩きはじめる

  • 2006年5月16日 21:19
  • 松田拓弥
  • Poetry

チクタク

過去は未来の積み重ね

でも未来は過去に埋もれない

  • 2006年5月16日 21:18
  • 松田拓弥
  • Poetry

夜空の太陽

特にこれといって何もない日。
だけど今日はぼやけた月がにじんでた。
あとは何も変わらない。
いつもよりもにじんだ月。
いつもよりぼんやり明るい月明かり。
影もぼんやりにじんでた。
伸びることなく縮まることなく、ただそこに。
ただいつもとなにも変わらぬ月の夜に、いつもよりぼんやり明るい月明かり。
今このときに、この世界で、同じ月を見上げる人がどれだけいるのだろう。
決して俺ひとりなんかじゃないはずだ。
同じ今じゃなくたって、きっと1度は見上げてくれたかな、この月明かり。
このぼんやり明るい月明かり。
なんか太陽よりもまぶしいや。

  • 2006年5月16日 04:00
  • 松田拓弥
  • Poetry

 親は、子供のために。

 子供は、自分のために。


 子供がおもちゃを選ぶように、親は、そのおもちゃを選んで買ってくる。
 選んで買ったおもちゃでも、子供は飽きても新しいものがやって来るまでは、それで遊ぶしかない。
 親もきっとそれは同じだろう。
 おもちゃを選ぶようには、親も子供も選べない。

 ケンカしかしない親なら、いっそ居てくれないほうがいい。
 “子供が大きくなるまで、別れる気はない”
 逆にそれは、それからの自分を想像できないだけだと思う。
 ホントに子供のためと思うなら、そのまま別れたほうがいい。仲の悪い親ほどイヤな親はいない。そんな親はいらない。そんな親なら、親じゃない。三流映画に出てくる三流役者と変わらない。
 自分がその“親”っていうやつを演じたいだけなんだよ。しかも、“いい親”っていうほうだ。
 泣こうが怒ろうが怒鳴ろうがわめこうが、親どうしの仲がよければ、きっと子供は我慢できる。殴られて出て行っても、きっとまた戻る。そんな気がする。
 両親のケンカを見物するための観客として生まれてきたわけじゃない。
 きっと、そんなことのために生んだわけでもないだろうさ。

 争えない血をもらっても、いらないものなら捨てられる。

 親子関係ってのは、カネで買えるおもちゃじゃない。

 親の気持ちはわからない。

 でも俺がもしも親なら、【反面教師】なんて言われたくない。

  • 2006年5月16日 01:03
  • 松田拓弥
  • Essay

The Song

なにも見えない
目を閉じた
好きな歌だけが背中のほうから聴こえてくる
だけど歌詞もそのタイトルもたいてい憶えてない
名もない声が僕は好き
姿もなくて触れることもできないけれど
僕の気持ちを鎮めてくれる
どこからともなく聴こえる声
なにも求めるわけじゃないけど
僕はなにかをもらってる
恩返しなんてできないし
そんなのする気もないけど
僕は歌を聴きつづける
僕はその声が好きなんだから
きっとなにも伝わることはなさそうだけど
たまにはそれもいいじゃない

  • 2006年5月15日 23:09
  • 松田拓弥
  • Poetry

» 全リストを見る »

Search
Feeds
ランキング
人気ブログランキング

人気ブログランキング

にほんブログ村
ブログランキング・にほんブログ村へ

にほんブログ村

BlogPeople

BlogPeople:自分/自分のこと

BlogPeople:人間・哲学/人間考察

BlogPeople:芸術・文学/小説家予備軍

Creative Commons License

Creative Commons License

Creative Commons

トップへ戻る