親は、子供のために。
子供は、自分のために。
子供がおもちゃを選ぶように、親は、そのおもちゃを選んで買ってくる。
選んで買ったおもちゃでも、子供は飽きても新しいものがやって来るまでは、それで遊ぶしかない。
親もきっとそれは同じだろう。
おもちゃを選ぶようには、親も子供も選べない。
ケンカしかしない親なら、いっそ居てくれないほうがいい。
“子供が大きくなるまで、別れる気はない”
逆にそれは、それからの自分を想像できないだけだと思う。
ホントに子供のためと思うなら、そのまま別れたほうがいい。仲の悪い親ほどイヤな親はいない。そんな親はいらない。そんな親なら、親じゃない。三流映画に出てくる三流役者と変わらない。
自分がその“親”っていうやつを演じたいだけなんだよ。しかも、“いい親”っていうほうだ。
泣こうが怒ろうが怒鳴ろうがわめこうが、親どうしの仲がよければ、きっと子供は我慢できる。殴られて出て行っても、きっとまた戻る。そんな気がする。
両親のケンカを見物するための観客として生まれてきたわけじゃない。
きっと、そんなことのために生んだわけでもないだろうさ。
争えない血をもらっても、いらないものなら捨てられる。
親子関係ってのは、カネで買えるおもちゃじゃない。
親の気持ちはわからない。
でも俺がもしも親なら、【反面教師】なんて言われたくない。
- 2006年5月16日 01:03
- Essay