……目覚まし時計が鳴りだした。
21時38分。
見ないまま目覚まし時計のてっぺんに設けられたボタンを押す。
スヌーズ機能で一時的に音が止まる。何分か後にまた鳴る。
そのまま反対側の腕を伸ばし、枕のそばの携帯電話を手探りする。
そのあたりに携帯電話はなかった。
ジャンバーのポケットに入れたまんまだ。
重い体を無理やり起こして、クロゼットの扉にかけてあるそこから携帯電話を取りだす。
ディスプレイを開く。
バッテリーが切れていた。
暗闇のなかまたベッドに戻り、枕に顔を埋めて下敷きになっている携帯電話の充電コードを探す。
見つけて携帯電話にプラグを差し込む。
いったん電源ボタンから指を離して、充電中の赤いランプがついたのを確認したあと、電源ボタンを押した。
電源の入る音が響いた。“切”ボタンを連打して、いくつかの起動画面を飛ばす。
アラームが終わったというお知らせの画面が表示された。そのせいでバッテリーが切れたらしい。
もう1度“切”ボタンを押してその画面を消す。
“17:48”
視線を移すと、もう1つ表示があった。
“1 Call”
誰からか確認する。
“11:23 Ikedaくん”
バイト先の専務だ。
また寝た。
はっきりとしない意識のそばで、目覚まし時計がカツッと音を立てた。その音で意識が覚めたのかもはっきりしない。
よくあることだ。習慣からか記憶からか、セットした目覚ましの針と時計の針が重なる一瞬前に目覚めてしまう。
また意識を閉じた。
どれくらい経っていたのか。
30分か。1時間か。それともほんの一瞬か。
感覚的には、ほんの数秒だった。
また目覚まし時計から音が聞こえた。今度は、カチリともゴツッともしない音がした。
目覚ましのベルのオンとオフのスイッチを切り替える音だ。スヌーズ機能ではなく、ベルを完全に止めるスイッチでもある。
<………いる>
集中させてるほうとは違うほうで、階下から茶碗がなにかとぶつかる音が聞こえてきた。
<でもあら? もうそんな時間か?>
まあ、また寝たんだから、そろそろ帰ってくる時間になっててもいいころだ。静かに入ってきて止めたんだろう。
<………>
つかの間の静寂。
そして、背後のベッドがやわらかく沈んだ。ゆっくりと、そしてかすかな鈍い音を立てながら。
ヤな予感。
ゆっくりと体がそちらへと傾いていく。
それに抗うようにして、徐々に警鐘を打ちはじめていた心臓の鼓動のように全身に鳥肌が広がった。
悪寒。
ベッドマットの軋む音を体の下側になっている耳で感じながら、そっと目を開けてみた。
その瞬間、疑念が確信に変わった。
おかーさーーーーーーーーーーーーーーーーーん!!!!
真っ暗闇のなかで見開いた目に、さらに暗い腕の影が音もなく背後へと消えていくところだった。
枕もとに置いてあるキーボードが、ガタッと鳴って床に落ちた。
<……きた>
また来たよ、おかーさーーーーーーーーーーーーーーーん!!
<っていうか……来てた?>
おっかさーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん!!
前回の教訓“早期発見”を活かそうと思って、金縛りと気づく前に、とっさになぜか目覚まし時計をひっつかんでぶん投げようとした。
とその瞬間、うしろからその腕をがっつりつかまれた。
かぁ~なりビビッた。そのときの心臓の鼓動ったらもう、最後を締めくくる真夏の夜の打ち上げ花火だった。
しかしそこはもうベテラン2回目。
負けてなるものかと、さらに手を伸ばそうとした。
だが、しかし……
ハイやっぱり金縛りィ~。
ハイ全然動かなぁ~い。
ハイまた体バッキバキィ~。
今度は叫ぼうとした。
ハイ駄目ェ~。
ハイまたごっつぁん声しか出てこなぁ~い。
ハイ無理ィ~。
それでもネバー・ギヴ・アップ!!
が、しかし、気持ちがはやるばかりで、かなりのスローモーションだった。叫ぼうとはちきれそうな喉も、悲しいかな、今にも泣きそなごっつぁん声。
言葉とはなんと浅はかなものなのか。
“目の前”がこんなにも遠いなんて……
もうおれの視界には目覚まし時計しか映ってなかったから、そのとき自分の腕がどうなってるのかなんて意識のなかになかった。
そして次の瞬間、ついに空が落ちた。
おっとぉ~?
“暗闇の魔術師”こと霊選手、背後から華麗な連携で見事なチョークスリーパーだぁ~!!
決まったかー!? 決まったかー!?
いや、松田選手、まだだー!!
しかしかろうじて耐えてはいるが、これはさすがに厳しいかぁ~!?
もうどうせならあのとき、完全に落としてくれればよかったのに。そしたらどんだけラクになれたか。いっそのこと、首根っこに空手チョップでも入れてくれれば。
落ちそうで落ちねぇもんだから、チビりそうなぐらいの恐怖心と、顔中の穴っちゅー穴からあますことなく液体があふれるような苦しさを煽られるだけだった。
ただのごっつぁんだった声も、肺を撃たれた関取になってった。
そのあと、最後に、気持ち断末魔の叫びを上げれた瞬間、ふっと解けるまでのことは、あまり憶えてない。
部屋もかすかに明るくなったような気がした。
なんで寝起きからこんな得体の知れない格闘しなきゃならんのだよ。
こんな目に遭っちゃバイトも行きたかねっつーの。
それでもバイトに行ったのは、ただ単に“怖くて二度寝できなかった”っていう、ただそれだけのこと。
金縛りってのは、よく肉体があまりにも疲れてて、意識だけが起きる状態だと。
さすがに最近疲れてんだろうか。
と思いきや、今日の経験をもって、俺様の意見は変わった。
人間の世界ってのは、その99%が視覚からの情報で成り立っているんだそうだ。
そして、人間の視覚ってのは、大いに精神的なものが関わりを与える。
つまり、金縛りも、人間の精神的なものから幻覚だ。
99%の視覚世界が完成されていれば、たとえ残り1%の絶対的偽りがあったとしても、人間の精神はそれに押しつぶされるらしい。
ただ単に、なんとなく今日はバイトに行きたくない気分っていう俺様のわがままが見せた幻覚。
でもなぁ~……
さすがにここまでくると生霊かとも思ったりする。
ウメちゃんが部屋に入ってきて止めたなんてあり得ねぇし。
廊下の電気もつけねぇで、ただでさえ電気つけたって暗い部屋なのに、あんなかで、しかも、音も立てないで時計の裏っ側にチョンてついてるだけのスイッチ見つけて切るなんて不可能。
そしてあの静寂……
スヌーズで止めたんだから、絶対音は鳴るはず。
もしウメちゃんだったとしても、ドア開けたときのわずかな光の加減でも感じるはず。
いや、むしろ嘘でもそっちのほうがいいとすら思うほどの恐怖だった。
どっかの誰ぞやに、そんな、起き抜けに暗闇でチョークスリーパーかけたくなるほど恨まれてんのか、おれ?
いや、ひょっとすると違うかもしれない。
下に行くと、必ずウメちゃんはテレビを見ながら飯を食ってる。
それとなにか関係が?
おかずの魂か?
テレビの電波で乗ってきたか?
しかし、ここで客観的に見てみよう。
金縛りから解けるときってのは、だいたい目を開ける。
その前に、気持ち一瞬だけでも必ず目を閉じてるのだよ。
だから、もしかすると、ここんとこ“マイクロスリープ”なんて言葉ができたように、結局、ただの“夢”なのかもしれない。
とはいえ、主観なのだよ、金縛りってやつは。
痛みも苦しみも恐怖もある。影もあればにおいだって感じるんだから。
なんつったって、そのときの感覚がはっきりしてんだよ。
とは言うものの、きっとこういう人ってけっこういると思うけど、おれの夢は、それらすべてが存在してるだな、これがまた……
でもとりあえず、あとに残るのが恐怖心のみってのはやめていただきたい。
まあ、なにはともあれ、いい加減にしてくれ。
しかも今回、怖ぇだけじゃねぇし……
超怖ぇ。
- 2006年12月27日 03:37
- Diary