もしかしたら、自分、けっこう病気かもしれない…いや、病的っていったほうがうまいことガチッとくるかもしれない。
しかしながら、躁鬱とか、鬱とか、風邪とか、精神障害とか、人格問題とか、そういう小難しい名前なんてついてないだろうし、スゴクもないし、ましてや薬もらって治るようなことでもないんだろうし、そんな薬もないんじゃないか?
いろんなこと考える。
考えすぎるらしい。
いっつもなんか考えてるし、考えてないことないと思うし、考えてなければ「考えてない」って頭んなかでそれを意識しちゃうし、なんか意識してないとダメらしい…
頭が痛い…
頭の前のほうと、こめかみの斜め50度ぐらい上らへんと、後頭部の首のなんとなくくぼんだ間をまっすぐ上に行って骨ばったところの、そのちょうど1点が痛くなる。
そんなときがある。
ありゃヒドイ…
頭が、頭のなかからブッ飛びそうな勢いある。
うずくまるときもある、と思う。
あんまり憶えてないけど、なんとなく頭を両手で持って、1人で「ゲーゲー」言ってブツブツしゃべって、頭をグルグルまわしてみたり、なんかいろんなこと始めてる気配みたいのはある。
あと背中が痛む。
落ち着きがない。
かと言って焦ってるわけじゃないし、なんかしてないと気がすまないって質でもないし、ただ座ってるってことだって、充分に可。
でも、どっか1点だけを眺めてるってのができないらしい。
でもそんな瞬間はある。
でもその次の瞬間には、なんか考えはじめる。
そんなときは発狂する。
歌いだし、踊りだし、クルクルまわりだす。
頭のなかもまわりだす。
【考え病】
あえて名前をつけるなら、そんなとこ。
頭のなかが落ち着かない。
でも、そんなふうに自分でわけわかんないことしてるときに一番幸せを感じる。
【幸せ】って何だ?
恋や愛、「好き」とか「愛してる」って、何だ?
“人の永遠のテーマ”と、人は言う。
人が言う。
わからない。わかりたくもない。
恋や愛、「好き」とか「愛してる」って、それ以外の言葉ではうまくしっくりくるような表現ができないんじゃないかと思ってみたりするときがある。
わがままとか自己満足とか、一緒にいたい、そばにいたい、支えたい、泣きたい、つらい、不安、期待、光、希望、やすらぎ、安定、刺激。
歌詞を書いたり詩を書いたりしててもいろいろあるけど、でもそれって、あくまでそれでしかない。
「何が好き?」
「何も好き」
こんな感じになってしまう。
正直、そばにいてほしいとか、一緒にいたいとか、そうやって条件づけして好きになることのほうが少ないんじゃないかと気づいたりする。
時に。
いや、まずない。
条件なんてないだろうし、好きなものは好きだし、愛してるから愛してると言えるんじゃないか?
だからって、なんもかんもが間違いって言う気もない。
広める気もない。
もしかしたら、そういう気持ちって、カラッポになることなんじゃないだろうかとも思う。
時々。
それまでたくさんの気持ちを抱えて、心のなかに詰め込んできたものを全部取っ払って、そこをカラッポにすること。
カラッポ。
それからまたいろんなことを吸収したり、詰めこんだり、ゆとりができたり、余裕ができたり、いろんなことが入ってこれるように、そのスペースが自分のなかにできること。
恋や愛、「好き」とか「愛してる」とか。
それか、また別の場所ができて、ちょっとだけ自分のなかが大きくなれること。成長とも言えるかもしれないけど、なんとなくニュアンス的に違うニオイがする。
大きくなれる。
大きくなれる場所ができる。
そこが大きくなる。
でもゆとりがあるからって、もっといっぱいのモノが入れたりしまっておくことができるわけでもない。もしかしたら、ちょっとした「ゆとり」ってやつができるってだけなのかもしれない。
ゆとりができる。
そこにちょっとだけゆとりができる。
恋をする。
恋に餓える。
愛をむさぼる。
なにも食えない。
納豆ばかり食ってる。
ネバリがない。
口のなかに頬張っては、飲み込めずに。
いろんなことを考える。
とりとめないし、つながらない。
的確でもないし、的はずれでもない。
でも、いろんなことを考えて、いろんなことをつなげてみたい。
自分なりに。
プー…ハチミツ…花…クリスマス…ヒゲ…カプチーノ…ブラウン…土…色…病気…ベッド…死…青…水…雲…曇り…のち晴れ…開閉式…女…なんつって。
できれば、笑って過ごしていきたい。
なにも恐れず、なにも悩まず。
ただ笑って過ごしていきたい。
人よりちょっとでも多く笑えたらいいな…
カラッポな笑い。
カラッポ。
ほんのちょっとだけでも…
笑えるオトナになれたらいいな…
だからみんなに笑ってほしい。
できれば、みんなと笑っていたい…
みんなでカラッポ。
みんなとカラッポ。
- 2006年8月22日 18:57
- Essay