詩を書くというと、あたり前のように「気持ち悪い」と言われる。
俺にとっては、あたり前のように詩を書く。
おんなじ世界で生きてる人でも、
その人によって「あたり前」が、
こんなにも違うのかと、つくづく感じる。
「あたり前」が、「あたり前」で通じないとしたら、
なにを「あたり前」と呼べるのだろうか?
そう呼ばなけりゃいい。
人それぞれ違うなら、
んなものは「あたり前」じゃないかもしれない。
きっと“優しさ”っていうのも人それぞれにあって、
人それぞれで受け取り方が違うように、
いろんなことが「あたり前」で踏み倒せるように、
いろんなことが「あたり前」では片づかない。
「あたり前」を「あたり前」と呼べるのは、
そこに自分のなかの何かがしっかりとあるからだと思う。
それを大切にしたい。
- 2006年7月27日 23:40
- Essay