また同じこと書きそうで怖いが…ご了承あられぇ~い!!
「貸し借り」
…これはかなりシビアな問題だな…
「たとえどんなに大切な恋人だろうと、なにがあっても“保証人”にだけはなるなよ」
これ、うちの父ちゃんのお言葉だ。
一理ある…たしかに、一理ある…
俺もそう思う。
俺はこう思ふ。
「本当に困ってる人がいたら、自分がそのときどんな状況だろうと、自分から手を差し伸べる人になれ」
カネを貸してくれ。
カネを借りてくれ。
全然違うな、この言いまわしだと…感じ方の問題だ。
カネの貸し借りが、やっぱり一番いい例になる。
まずは結論から出しておくと、こうだろうな…
【金額のデカさじゃない。精神的な重さだ】
たとえば、こんな2人の場合。
ある友達の男が100万円借りたとする。別にカネにそこまで困ってるわけじゃなく、ただ単に衝動買いするためだ。競馬するためのカネでもいい。
そしてある日、まとまったカネが入った。
<あ、そういえば…行くとするか>
借りてた人に、その金額より少し利子までつけて借金返済した。
「あ、どうもな。助かったわ」
「あ、そうか。利子までつけてくれて、こっちこそなんか悪いな…」
本当にその日暮らし困ってる人に、1000円貸してくれと頼まれた…不信感…返してもらえるはずがない…何に使うのかもわからない…でもまあ1000円だし…
貸した。もうあげたも同然だった。
ある日、その人が借りた1000円だけを携えてやって来た。
「本当にあのときはありがとう。本当に助かった。ありがとう」
「いえいえ、こちらこそお役に立てて光栄です」
どうだろうか…
前者の友達からカネを受け取った瞬間、【もう次はない】と心のなかで感じるだろうと思う。しかも、貸したほうの人間が、利子までもらって無意識にでも“申し訳ない”という劣等感を味わうかもしれない。しかしまあ、単に“ラッキー!!”と感じる人、“友達だろうが何だろうが、利子は当然”という人も少なからず。
後者のほうでは、むしろその相手を疑ったことを、自分を恥じるんじゃないかと思う。
金額の問題じゃないんだと思う。
借りた側の人にとっては、その金額よりも、精神的な負い目というか、どれだけそこに気持ちがあったのか。
貸した側の人にとっては、その金額よりも、貸した人からの言葉や気持ちをどれだけ受け取れたか。
ただの偽善者なのかもしれない。自己満足なのかもしれない。神様みたいな慈愛なのかもしれない。
見返りを求めないっていうのは、やっぱり本当に難しいことだけれど、でもそれが気持ちの上では本当に大切なことなんだと思う。
助けたら、やっぱり嬉しい。
助けてもらっても、やっぱり嬉しい。
どっちにしろ、先にも後にも、お互いに気持ちのいいものでありたい。
恩着せがましいのは、お互いにとって、気分が悪いと思う。
「あのとき○○貸してやった」
これはタブーだと思う。
…人に何かをしてあげる…
…人に何かをしてもらう…
この「してあげる」と「してもらう」っていう言葉が入ると、どうしても気持ちの片隅になにかがひっかかる…それは俺だけかもしれないけど、これを取り除ければ、もっと気持ちよくなれると思う。
難しいけど、それを『なっがぁ~い眼』で見てほしい。
ゴミを捨ててあげた・カネを貸してあげた・灰皿をとってあげた・頼まれたものを買ってきてあげた…
「仕方ねぇ~から捨ててやったぞ?」
「じゃあ、5000円貸したわけだから利子は…10万だな」
「押しつけて消すなよ? 灰皿に跡ついて汚れるから」
「んじゃ、パシリ代としてお釣りの30円はいただきね」
たとえが小規模すぎて無意味かもしれないけども、相手としてはほんのりムカつくだろうと思う。
…なんでそんなことする必要あんの? 普通に渡してやればいいじゃん…
でも、そこがミソなんだわ。
たしかに必要はない。
ただ、相手に精神的な負担を取り除くため…
いやむしろ、それをした人のほうが悪いことしてるように思ってもらうため。
ものっすごくちっちぇかもしれねぇ。そんなこと気にするほうが、ちっちぇ人間だとか言われるかもしれねぇ。
でも、そういう精神的な負い目ってのは、時間が経つほどに大きくなってくると思うわけです。
そのときは普通に接してたはずなのに、あとになって「ああ、あいつには世話になってるなぁ~」なんていう感情がふとした瞬間にわきあがってくるものだと、俺様は思うわけ。
でもこれも、一種の【優しさ】と受け取る人もいれば、ただ気づかずにそのまま【ムカつく】っていうだけで終わる人がいる。
そんな場合、「あいつはひと言多い」とか「失礼だ」とか「常識がない」とか、言いたい放題に言われる。
優しさと気づいた人には、もっと重くのしかかるか、「実はいい人」っていう感じにでもなるのかしら…
まあ、そのへんは摩訶不思議なところですな。
どっちにしろ、自己満足の世界かもしれないけど、俺はそういう些細な、本当に些細すぎることかもしれないけど、小さな優しさというか、さりげない優しさとかいうのが、大好きだ。
俺が好きなだけだ。
まわりの人だれにでも認められる【優しさ】よりも、その人なりのちっちゃな【優しさ】のほうが嬉しかったりするだけであって、そういうのが好きなだけ…けっこうフェチに近いかもしれまいに。
不器用な人の、そんな【優しさ】に触れられたときは、筆舌に尽くしがたい嬉しい気持ちになる。
きっとそれは、その人にとっての精一杯の優しさだろうか…
自分も優しい気持ちになれたような気がする。
ああ…また長くなりすぎてる…大学生の論文みたいな長文だ…でもいいとこ“C+”ってとこかな…
【優しさ】も、【なっがぁ~い眼】で見れば、【ムカつきのかけら】なのかもしれないな…
- 2006年7月15日 01:48
- Essay