「ホントおまえって、人の心に平気で土足でズカズカ入ってくタイプだよな、ホント」
考えた。
考えさせられた。
なんかちょっとだけ悩んだかもしれない。
……でも、たいして深くじゃなかった。
たまたま出向いた先で、たまたま高校のときのヤツに会った。
挨拶だけして去ろうとの予定が、近くにあった店に入ることになっていた。そいつと一緒にいた女の子は帰っていった。ちょっと離れたところで傍観者に成り果てていた彼女は、最初は「は?」って顔をしてたけど、すぐにそいつの肩越しからこちらを覗きこむと、ケータイを確認してから、なぜだか納得したようにクルリと背を向けて歩いて行った。
そいつとはあんまり話したことはなかった。たまたま同じクラスになって席が隣になって、それから話すようになって、でも卒業するまでにはどちらからも話すことはなくなってた。
でも、そんなそいつが話すことは、そんなに軽いことじゃなかったらしい…でも、そんなものなのかもしれないとも思う。
ただ、そう言われた。
「ホントおまえって、人の心に平気で土足でズカズカ入ってくタイプだよな、ホント」
そしてそいつは、なんか曖昧にへらへらしてコーヒーをひと口飲んだ。
聞いてすぐは最初と最後に“ホント”を2回も繰り返すほどのことなんだな、と俺は思っただけだった。
でもその次の瞬間…いや、それと同時に“は?”と感じた。さっき外でこいつと一緒にいた女の子が去り際にこいつに向けたあの表情が、今度は俺の心のなかに浮かんだ。
「は?」
「いや、そうだよ、ホント」
そいつはコーヒーカップを持つ手の指にタバコを挟めてその中身をすすりながら、今度はこちらを探るような目で見てきた。それは、なんとなく癪に障る目つきだった。
俺もタバコを1本抜き取った。
そいつが火をつけてくれた。こういうヤツだ。
こいつとはほとんど想い出ってものがない。話したのは誰よりも多かったけど、こいつとどこかへ行って楽しかったとか一緒に何かをやったとかいうことはない。
人と話したこと、会話の内容はほとんど憶えてる。本当にしょうもないことも、今までの誰かと話したっていうその内容の記憶はほとんど憶えてる。なぜか、こればっかりはいつまで経っても忘れないらしい。
誰かに昔の会話のことで「憶えてる?」って訊かれて、「え、そんなこと言ったっけ?」ってのが、俺にはほとんどない。なんとなくでも破片でも一応は憶えてることが多い。人が忘れてることを、いつまでも憶えてることのほうが多い。でも俺からそうやって確認することはしない。その人が忘れてしまってるってことは、その人にとってはたいして必要でも大切でもなかったってことだと思ってしまう。
そいつは“おまえの影響、けっこうデカかったな”と俺に言った。
そいつが言いたいのは、どうやらそれらしかった。
俺にはそんな憶えなんてない。名言を吐いたこともないし、大舞台に立ったこともないし、俺の考え方とかを書いた作文をあげた憶えもない。
こいつとの会話だって話したそのまんまの内容しかなかった。
「あっ、あいつ…どうよ?」
「お目が高い…いい背中のラインだ」
なのに、そいつは言う。
さらにはこうも断言してみせた。
「もしおまえに会ってなかったら、今、俺、違うね、絶対」
「まあ、それが良くても悪くても、おれのせいにはしないでもらいたいね」
そいつはそれを鼻で笑った。そしてタバコを消してコーヒーを飲んだ。
ちょっとムカついた。
「そういうヤツって、ほかにもいっぱいいんじゃん」
”人の心に平気で土足でズカズカ入ってくタイプ”
「でもおまえって、なんとなく違うんだよねぇ~、なんかこう…」
タバコ吸いすぎ。
「…踏みにじってくんじゃなくて、踏みならしてくっていうか…畑で言えば、耕して踏み固めてくっていうか…んまあ、なんかうまく言えんけど、そんな感じ。わかる?」
「んまあ、なんとなく」
「んじゃまあ、そんな感じ」
悪い気はしない沈黙だった。そいつもそんな感じだったように見えた。
「でも、それからなんだよね、おまえのダメなとこ…いや、間違いかな?」
「やっぱ耕すにはスニーカーより長靴のほうがいい?」
「なんかうまいけど、ちょっとズレてる…それに、おまえの場合、きっと裸足。でも、礼儀正しく革靴とかよりはずっとイイんじゃないの?」
ちょっとの間。
「んで、おまえの間違いってさ、人の畑耕してある程度踏み固めるまで手伝ってやって、それまではいいんだけど、あとはもうほったらかしでいつの間にか勝手にどっか消えてくの…まあ自分じゃ気づいてないんだろうけどね」
そいつはタバコを消した。なんか映画みたいなタイミングのよさだった。
「そんなの、自分の畑なんだから自分で好きな種埋めりゃいいじゃん。トマト食いたきゃ、トマトの育てりゃいいんだし」
「それはおまえだろ? …ってか、それなんだよねぇ~ホント」
「なにが?」
「なにがって…なんかさぁ~、種でも苗でも田植えでも何でもいいけどさぁ、実際そこまで一緒にやったらさぁ、それからまだ手伝ってほしいことってあんじゃん。たまぁ~にでもさぁ…どうよ?」
「…おれは肉体労働ってのが嫌いな質でね」
「おまえって土もけっこう選ぶからな…もっと質悪い」
「職人ですから」
「また笑いに持ってくなっつの」
でもそいつは、今でもそういうのが好きらしかった。
「手伝ってほしかったら呼べばいいだけじゃん」
「それができたらおれだって、今でもまだおまえのケータイの番号ぐらい知ってる仲でいられたと思うけどね」
「ああ、おまえ…おれのせいにしないでもらいたいね」
「いや、こればっかりはマジで言わせてもらうけどねぇ…去ってくときのおまえって、なに言ってもムダって感じのオーラだしてんのよ…ってかおまえって、なんか勝手に決めつけてない?」
そしてさらに、こう付け加えた。
「いろんなこと」
結局、そいつとどれだけの時間いたか…挨拶だけしてさっさと消える予定が、実に2時間も同じテーブルに座ってコーヒーをおごってもらっていた。別れ際、そいつと一緒にいた女の子に申し訳ないことをしたと感じた。自分でもわかるかわからないかぐらい、ほんのちょっとだけ。
たしかに、それはある。
自分のなかにある、自分のなかだけの基準で、いろんなことを勝手に決めつけてしまってるかもしれない。それがたとえ、ヒトのことでさえも。
自分の役割みたいなのを勝手に自分で設定して、それを終えたら自分から、自分で自分にも気づかれないように離れていってるのかもしれない。
そいつの言うとおり、離れていったのは俺のほうかもしれない。もしかしたら、逃げたのかもしれない。
それが何かはわからないけど、なにかを怖がってるのかもしれない。
それも自分の、自分のなかだけに見つけた勝手な恐怖なんだと思う。
俺は簡単に影響される。影響を受けやすい。
歌でもなんでもそうだ。ちょっと小耳に挟んだりすれば、そのあと1日中そればっかり口ずさんだりする。本を読めば、そのなかの言葉を四六時中頭のなかでこねてみたり、映画を見れば自分がヒーローになった気分で素敵なヒロインをカワイイ、カワイイと頭のなかに描きつづける。
でも、風が吹いてそれに乗って流されるんじゃなくて、そこに立つか座るかして、その風を受け止めるだけでいる。
きっとそうだ。
そして、体のどこかにできた隙間から抜けていく風はそのままで、どこかに残ってるものだけをつかまえてる。
きっとそれだけだ。
いつも自分の位置が決まってる。そして、そこから動かない。いや、動けないでいるんだと思う。
勝手に自分の“範囲”みたいなものまで決めつけてしまってるんだと思う。
自分のなかでの配置にしがみついて、必死になってる。
きっと、俺の世界は狭い。
でも世界は、もっともっと広い。
「おまえと関わった人って、イイ感じに付き合えてる人も多いと思うけど、けっこう傷ついた人も多いんじゃないの? 実際」
これは自分じゃわからない。
「もしいたら、きっとかなり深いね」
これも自分じゃわからない。
でも、当たってる部分は大きいと思う。
でもやっぱり、こればっかりは自分自身じゃわからない…いや、きっと俺はなにもわかってない。
帰るとき、俺はそいつにケータイの番号を教えようとした。
でもそいつは断った。
やっぱり俺は、なにもわかってないんだと思った。
- 2006年5月21日 22:09
- Essay