すべては自分のなかにある。
花がある。
キレイな花が咲いている。
キレイに花が咲いている。
そう、そこには花が咲いている。
子供と目が合う。
そのお母さんとも目が合った。
そのお父さんとも目が合った。
そう、そこには1つの家族がある。
小さなネズミが走っていく。
口には小さなパンのかけらをくわえてる。
小さなネズミが走っていく。
そう、そこにはもっと小さなネズミがいる。
胸の前で強く両手を組む。
今は閉じた目のむこう側に像がある。
きっと隣にも同じ姿勢の人がいる。
そう、そこには人がいる。
命がある。
絆がある。
愛がある。
光がある。
目に見えるものと、見えないもの。
花は見えても、命は見えない。
家族は見えても、絆は見えない。
ネズミは見えても、愛は見えない。
像は見えても、光は見えない。
自分のなかには、なにがある?
自分のなかには、自分がある。
すべてがある。
自分の目に見えるもの。
自分の目でも見えないもの。
だけどそこには、しっかりとある。
たとえキレイな花と、キレイに磨き上げられた石で作られた教会でも、そこには神はいない。ましてや、それが神でもない。みなに愛される神父は、みなに愛される神父。神じゃない。聖書が神ってわけでもない。
たとえ自分が書いた本だとしても、それが自分ってわけじゃない。自分が書いた手紙でさえ、あくまでそれは手紙に過ぎない。
すべては自分のなかにある。
手に取って触れることのできないものは、自分がそれを信じる以外に術はない。
たとえすでに枯れていても、そこには深い命がある。
たとえその手をつないでなくても、そこには強い絆がある。
たとえ途中で少し食べてしまっても、そこには大きな愛がある。
たとえその手がクロスしてなくても、そこには交わる光がある。
命は見えない。
絆は見えない。
愛は見えない。
光は見えない。
そして、その理由も見えてはこない。
どれもすべてを信じるしかない。
自分はそれを信じることしかできない。
たとえそれが見えなくとも、それにこの手が触れることはできなくとも。
自分はそれを信じることしかできないでいる。
でも、それで充分だと思う。
信じることができなくれば、そのどれもを1度に失うことになる。
信じていれば、生きていける。
信じていれば、その手をつなげる。
信じていれば、与え受け取ることができる。
信じていれば、祈ることができる。
信じていれば、わかることもある。
【そのとき、初めてわかることもある】
すべては自分のなかにある。
そう、すべては自分のなかにある。
- 2006年5月29日 02:27
- Essay
ランキング参加中なので。
単語連鎖
- あとがき : 教えて愛を、どうして嘘を
- まえがき : 半ば