2006年7月の文章リスト

“ 2006年7月 ” 分の文。

マーブルみかん

 みなさん、おはようございます。
 自分の血を、みかんの果汁と勘違いする人間、Takuyaです。


 以前わたしは耳から血が出ましたが、先日はひさびさ鼻血が出ました。
 ただいまわたくしは、ついに比較するための洗顔石鹸を使い切ってしまったため、次のパラオソが届くまでのあいだ、≪サッポロドラッグストアー≫で買った“みかんの石鹸”というものを使っておるわけです。
 で、その日、シャワーを浴びてるとき、顔を洗ってる最中にふと目を開けると、泡がオレンジ色のマーブルが混ざっておりました。
「……あ、この石鹸、みかんの果汁配合されてんだぁ」
 ちょっとその泡を混ぜてみる。
「おっ、ちょっとすげぇじゃん」
 だがしかし、シャワーのお湯が入ったせいか、どうにも鼻がおかしいということで、ハフンと鼻息を飛ばしてみた。
 するとどうでしょう。
 次の瞬間、自分の腕と、風呂の枠に、小さなその果汁のしぶきが飛んだじゃありませんか。
 そしてポタッ、ポタッ、ポタッと3雫……
<あら?? これってまさか、俺様、鼻血だしてんの??>
 ちょっと膝を曲げて、風呂場に設えられてる鏡を覗いてみる。
<あら鼻血>
 でも、とりあえずまだ洗顔が途中だったので、まずはそれを済まそうと思った。かまわず同じ泡でまんべんなく顔を優しく洗ってすすぎました。
 それから、目と目のあいだをしばらくつまんでパッと離したり、またハフンと鼻息の疾風を巻き起こしてみたり、鼻の穴のなかにシャワーを逆噴射してみたり、ひさびさの鼻血とたわむれてみました。
 そうこうしているうちに、だいたい1分ぐらいで止まりました。
 ちょっとおもしろかったです。

 で、バイト先でもまたさっき鼻血が出たというわけです。
 エアコンがあるせいか、鼻水が止まらなかったので、とりあえずつっぺってみた。
 いったんはずす。
 ん??
 どうやら鼻クソらしき違和感を察知したので、もう1度突っ込んで、3時の方向に3回、10時の方向に2回こねってみた。
 そして確認のため、はずしてみた。
 オカリナのような赤い模様が、その中腹あたりににじんでいた。
 つっぺるとよくあることなんだけど、先日のこともあり、すぐにピンときた。
 でも、とりあえずそれは捨てようと思って、すぐ隣に待機させている業務用ゴミ袋に体を向けた。
<あん……>
 ピタ、ピタ……ピタッと、徐々に早くなっていく俺様の鼓動とシンクロするように3滴。
 床で1円玉ぐらいのトマトが弾けてるようだった。新鮮な血ってのは、ここまできれいに赤いのかと感心した。なかなかハリウッドや香港の映画で見る血のりも、まんざらではないらしい。
 しかし、またもや俺様の果汁が無料で世に流通してしまった。まさに出血大サービスだ。
 ねじ込んだつっぺが、心持ちやや大きかったのがいけなかったのか……鼻の穴が多少広がったような気がする。
 いや、先端のほうでピョイっと触手みたいなのが余計に伸びてたのがいけなかったか……ここでの紙と言えば、トイレットペーパーしかなく、やはりティッシュより硬いからか。
 指を当ててみれば、おとといの鼻血とはまた別の穴だったので、古傷が開いたというわけではないらしい。
 まま、新しいトイレットペーパーで鼻をおさえながら、床の血を拭いた。
 どうやら俺様の果汁は、1分間限定のタイムサービス制らしい。

    [了]

 あ、そういえばサタデーナイツに、≪Chelase≫のお食事会にお呼ばれさせていただいた。
 というのも、いつもお世話になっている≪Chelsea SW3≫のみなさんだけじゃなく、もう一店舗ある≪チェルシー≫の方々もご一緒だったわけだ。
 しかしそれは聞いてない……
 わたくしは大人数っていうのが、大の苦手でありまして、数に埋もれるタイプだからであります。知らない人は、9割無視です。
 そして、しかも男女比“1対7”……一体全体なにを話したらいいのか……

 でも実際には、そういうわけでもないらしい。
 まあ、やっぱ人にもよるんだな。
 楽しくたらふく食べさせていただいた。
 おもしれぇ……特にあの店長さんおもしれぇ。1つネタをパクらせていただいたぐらいだ。

 んで、≪かくれ家≫っていうところに連れてってもらったんだけど、メチャメチャうまいィ~!!
 俺様はあの、フランス料理とか料亭みたいな、デカい皿にチベットしか乗ってない料理が大嫌い。
 ちいせぇ料理を、ナイフとフォークでさらに小さく切り分けていただくってのが苦痛だ。
 なんで花びらがしわしわになった百合みたいな口して食わなきゃならんのだ。表現的には美しそうだけど、見た目はてんでヒデェもんだ。

 しかし、≪かくれ家≫は違う。
 デカい皿にドカーンと乗ってる。そこがまずいい。
 それでいてガツンとうまいんだから、文句なし。
 というわけで、“仙豆”ばりの効果が見込めそうなぐらいの量をご馳走になってきた。
 まさにご馳走だ。
 最近じゃずっと、俺様一子相伝の“もやしご飯”ばっかり食っていたので、ここぞとばかりに食べさせていただいた。


 もしこれを読んで、“そんなにおいしいんだったら私も!!”みたいな方がいらっしゃるかもしれないので、一応書いておきます。
 たしか白石から札幌方面、あれはきっと、東札幌とか菊水あたりのはず。
 で、入り組んだところに入っていって、さらにわかりづらい小さなお店です。
 でも、すぐそばまで行けば、すっげぇ混んでるし、看板も目立つ感じなので、すぐわかるかと思います。
 僕はあそこの店長さんぽい人が好きになりました。とてもフレンドリーな感じがいいです。


 もう一店舗のほうのお嬢さんとも、やっと最後のデザートが出てきたとき、すかさずロックオンして楽しく談笑させていただいた。
 それまでは食べることに精一杯で……
 まあ、一緒にいれば当然のことながら、ヨッシーとも真理ちゃんともおしゃべりできたし、ホント、身も心も充実だ。
 ごっつええ感じ。

 ただ、向かいに座っていた方、テーブルの下で足をチョンチョン触っていたのは、なにかの合図でもなんでもないので、なにとぞ誤解のなきようよろしくお願いいたします。セクハラとかもなしの方向で……
 え~っとあれは、掘りごたつってのか??
 で、それをいいことに、隠れてちょっと脚を組んだ際の副作用です。途中でいい加減謝ろうかとも思ったけども、もしあちらさんが気づいてなかったとき、それをあえて伝えるのは、逆に変な意味でとらえられてしまうんじゃないかと、やめました。


 とにかく、店長には、まことしやかにご馳走さまになった。
 またあのような機会があったら、ぜひ呼んでほしいものだ。あのお嬢さんとももうちょっとぐらいはまともな話をしようと思う。


 というわけで、ご馳走になっておきながら作りなおしのサイト、まだ半分ぐらいで……
 でも、あとはオススメとかに使う画像を入れてというだけかと思うんで、あと残り3分の1ぐらいで完成かなぁ~。
 あ、画像か……
 わたしが画像を作るということはどういうことになるか……
 え~っと、ということで、訂正。
 やっぱり完成度のほうが3分の1か、3分の1.4という感じ。

 ……うん、がんばろ。

  • 2006年7月24日 13:13
  • 松田拓弥
  • Diary

本気の嘘は、時に真実。

 なぜ? …なぜ? ……なぜ?

 今ごろ気づく。
 あのとき手を伸ばさなきゃ…あの日、ピアノを弾かなけりゃ…あの瞬間、涙をこらえてれば…

 後悔先に立たずとはよく言ったもんだけども、でも、わかっちゃいるけどやってしまうということもあるわけだ。
 わかっちゃいるけど、奥歯の牛スジが気にかかる…おっと、隠しながらも思わずシーハーしちゃう焼肉屋のOLたち。
 わかっちゃいるけど、今は日記が書きたくて…くわえ煙草でしかめっ面を浮かべてる一流企業の社長秘書。
 わかっちゃいるけど、このままなんて帰れない…口先三寸の「愛してる」

 でもすぐバレる上辺だけの心の内。
 たとえ嘘でも、その時だけは本気になれる。
 騙しはしないさ。
 そんな自分に騙される。
 …そんな自分。

 そんなのも「アリ」じゃない??

  • 2006年7月23日 06:28
  • 松田拓弥
  • Essay

雨宿り

 ぽつっぽつっと降ってきたら
 ほんの少し歩みを広げて ほんの少し遠くへ向かう
 そしてほのかな暗がりで
 ズボンやシャツがまとわりついてる
 僕は微笑みながら雨を拭く


 やわらかな明かり
 すべてがゆっくりにじんでゆく
 今は光も影も解け合うんだ


 まぶしすぎる光もなく
 すべてがまぶたを閉じた名残のように


 なにに追われることもなく
 なにを追ってるわけでもなく


 僕が傾くほうにだけ
 同じだけ少しだけ
 僕に寄り添い合ってくれるだけ


 走って帰ったっていい
 だけどずっとこうしていたい
 その音さえ忘れてしまうような
 ただ静かな眺めのなかで
 遠くの景色とこのつま先に踊る雫とのはざ間で
 ただ濡れてくままに感じてたい


 僕が君を好きなのも きっとこんな感じなんだね
 そう 君の手のひらで

  • 2006年7月22日 00:40
  • 松田拓弥
  • Poetry

垂れ流し

 おれはクソみたいな言葉を、クソみたいに垂れ流す。

  • 2006年7月20日 01:25
  • 松田拓弥
  • Essay

あいのりについて

 いやぁ~、あんだよ!!
 ひさよん、すっげぇ~いい子!!
 めっちゃカワイイ!!

 あんなことを言うなんざぁ~、どれだけの勇気がいったことか……
 想像もできん。
 あんなことしっかりと伝えられる人なんて、そうそういねぇ~だろうなぁ~……
 逢ったことね。

 あんなにも人と正面からちゃんと向き合えるなんて……
 これも全納の力LOVEのなせる業なのか……

 しかしまあ、あんなにもはっきりしっかり「好き」っていう気持ちを、強く強く、そしてホントに本気でぶつけられるなんて……

 すごいよ、ひさよん。

 やっぱなぁ~、人間それなりに大きくなってくるとさ、それなりの自分っていうのが自分勝手に築き上げられちゃってさ、そこに執着しちゃうもんじゃん。
 田上くんの態度、わかる。わかるよ。
 あんなこと言われたというか、あんなふうな言い方されたら、そりゃ逃げだしたくもなるよな……


 あ、いや、ちょっと待て。


 あれ、おれ、田上くんも言ってたように、逃げてるわけじゃ~ないと思うわけよ。
 その「逃げる」ってよく聞く言葉だけど、それって、ただ単にそやってその相手の人に背中を向けられて遠ざかっていかれるっていうことに耐えられないだけなんじゃね?
 
 虚しい、悲しい、淋しい、悔しい、侘しい、バカらしい、何やってんだろ、苦しい、そして愛惜しい……

 振り向いてほしいよ。
 こっち向いてよ。
 なにもしゃべってくれなくてもいいから、とにかくこっち向いてほしいよ。


 まあ、男にゃその言葉が効果てき面だと思うけどね。
 あ、いや、これもちょっと待て。
 もしかすっと、女の人のほうが効くかもな……
 あ、いや、でも、その言葉を吐いたらば、そのまま無視されるか、数歩行ったところで突然振り返って突進してくるだろうな。運がよければ、愛しい恋人のおつゆな牙突を食らえるかもしれまいに……
 まあ、その言葉が出てくる状況ってのも、たいがいはそういう状況だからな。

 逃げてんじゃねぇ、考えてぇんだ。

 「図星」
 これは言い方の問題だ。
 “図星だから怒って逃げる”
 そうじゃねぇ。
 “それを言われて気づいたから、それについて改めてちゃんと考えたい”

 なのに当の本人と対峙してて、それができるか。
 冷静になんかなれっこねぇ。
 でも相手にすれば、そんなのあり得ねぇだろうさ。
 こっちは話し合いを求めてるのに、そっちはこの場を去ろうとするんだからな。

 考えるときはいつも孤独だ。

「………」
「なんか言いなよ」
 ほらきた。
 これだ。
 おちおち黙ってもいられねぇ。
 で、そやってせっつかられて、だんだんそっちのほうが余計にイラ立ってくんだな、これが。
 かといって、「はい、そうですか」もダメ。
 サジ投げたと思われて、相手も余計イライラしてくんだ。
 そんなんでまともな話し合いなんてできっこねぇ。

 まあ、それもきっとわかってるんだろうさ。
 わかっちゃいるけどさ……

 きっと話し合いなんて求めてねぇ。
 そういうときはもう、なんだかんだ言ったってさ、どうにもなんねぇんだよ。
 好きなんだもん。
 しょうがねぇじゃん、好きなんだから。

 だから時にはぶつかるさ。怒りもするさ。
 だからこそじゃん。
 本気じゃなきゃ怒りもしねぇよ。うんともすんとも言わねぇよ。

 なにやってもムカつくときだってあんだよ。
 「うん」て言やぁ、「アホか」って言うんだよ。
 でも、好き。
 「うん」も好き。「アホ」も好き。
 ムカついたって好きなもんは好きなんだよ。

 だからそんなときは、“逆ギレLOVEアタック大作戦 ~おまえの魂にこの熱きメッセージを~”だな。

「本気で好きだから怒っちまうんだろうが!!」
 そしてちょっと間ができて、最後に本気だしてこうつけ加える。
「なんかこんな、怒鳴っちゃってごめんな!!」

 もしかしたら、ちょっと笑ってくれるかもしれませんね。
 ラッキーですね。嬉しいですね。
 そんな関係、いいですね。

 やっぱ男も女も、怒ったり泣いたり、感情的になったときって言葉も出ちゃうもんじゃん、どうしてもさ。
 普段の日常会話でもなんでも、キレイないい言葉選んでられるうちなんて、そんなもんホントにわかり合ってるなんて言えねぇよ。

 言葉はいらねぇ?
 なんも伝えてねぇで、なにがわかるっつーんだよ。
 わかんねぇよ。
 なんもわかんねぇよ。
 なんも言ってくれなきゃ、こっちがわかりたくてもなんもわかんねぇんだよ。
 わかりてぇよ。
 だれも認めてくれなくたって、おれが全部認めてやるよ。だれも話聞いてくれねぇなら、おれが全部聞いてやる。
 わかり合いてぇよ。
 なんもキレイな言葉なんていらねぇよ。ありふれた言葉でもなんでもいいよ。
 自分の言葉で伝えてくれよ。

 だから普段からキレイな言葉や丁寧な言葉でしかしゃべらねぇやつは信用しねぇ。できねぇ。
 難しい言葉とはしゃべらねぇ。
 いや、これはごめん。
 しゃべれねぇだな。
 「うっせ黙れ、まんこ野郎」の1つや2つ言えねぇんじゃ、3つ4つはわかれても、5つ6つはわかり合えねぇんだよ。
 前に言ってた「このクソガキ」ってあれ、すっげぇ本気だったんだなぁ~って感じさせるひと言だったな。
 それだけで充分伝わんだよ、ホント。
 たくさん言葉知ってたって、自分の気持ちも伝えられねぇんじゃ、なんのための言葉なんだかわらかなくなるよ。
 辞書には載ってない気持ちもたくさんあんだよ。
 文字じゃねぇ。文章じゃねぇ。
 気持ちだよ、気持ち。
 ここだよ、ここ!!

 おっ?
 なんかどっか吹っ切れたか、おれ?

 とまあ、そんな感じでいつものことながら、話がそれてるようでそれてない感じなんだけどもさ。
 なんだ?
 あれか?
 あれだ、あれ。


 田上くん、ホント最初んときはやっちゃったなぁ~と思ったけども、けっこうそうでもないみたいね。
 気にかかったのが、ひさよんに“きれい事ばっか言ってんじゃねぇよ”と何度も吐き捨てたとこだな。
 それをきれい事だと気づいてるってことは、それがきれいなことだってわかってるっつーことだからな。
 「そんなのあたり前じゃん」とかあたり前のように流してしまわないあたりが、すげぇ。
 それを何度も何度も言い返すってことは、“そんなの言われなくたってわかってんよ”ってことでしょう。
 “だからおれもそうなれるようにがんばってんだけど、ちょっとうまくいかない”ってことじゃね?
 男だからとか、おれも似てるからかばうとかじゃないけども、なぁ~んかそんな感じがすんだよなぁ~、彼。

 しかしまあ、だれからも愛されたいって純粋に願う人で、だれからも愛されちゃう人って、時にホント残酷だなぁ~と思う。
 きっと無邪気にだれのことも愛せるんだろうな。
 無邪気に人を愛するって、なかなか難しいようでけっこうできてるんだろうと思うけど、やっぱりそれは自分が気づいてる。
 計算が入ったり、損得で計ったり、いろいろあるんだろうけど、それって自分のなかでそういうのを、あえて混ぜたいだけだろうと。
 自分が突っ走ってしまったり、それこそ相手のことを考えすぎたりして、相手のことが見えなくなってしまうのが怖い。
 すごく好きなんだけど、それに対して自分なりのストップも探してんじゃないかな。

 愛されたいと願うから、それと同じだけ当然のように愛せるんだろう。
 それでいて、それが無意識にできちゃうもんだから、さらに質が悪い。
 うまいわ。
 ホントうまいわ、田上くん。
 見てて正直そう感じた。
 ありゃ惚れる。
 ホントうまい言葉返すよなぁ~……
 走らず、かといって歩かず、さりげなく風吹かすもんな……ありゃにおうよ、マジで。

 人はやっぱ、好いてくれる人を好きになるってなもんよ。
 これはきっと万人に言えるだろうな。
 「愛されるより愛したい」ってすっげぇカッコイイけど、実際には愛されて悪い気はしねぇからな。
 まあ、愛されつづけることのほうがそれ以上に難しいことだとは思うけどもさ、ちゃんと人と向き合えないんじゃ、愛することも愛されることもねぇ。


 恋愛って、すべての要素がある。
 恋愛は戦争だ。
 スリルあり、サスペンスあり、アクションあり、いたるところにどんでん返しあり、涙あり、笑いあり、純粋さあり、泥仕合ありの、どんな恋愛もそのすべてが1本の終わらない映画なんだ。
 恋愛を見てなんの興味もわかねぇやつは、結局なんにも興味ねぇんだよ。興味持ってるフリなんだよ。
 映画もそこに自分がいないから、そのすべてが他人事で片付けてんだよ。
 なにをやっても他人事さ。
 そのうち自分のことも他人事さ。


 だれも愛せねぇんじゃねぇ。
 愛そうとしてねぇだけだ。
 だれも愛してくれねぇんじゃねぇ。必要とされてねぇんじゃねぇ。
 愛してねぇだけだ。必要としてねぇだけだ。
 こんな自分とか、どうせじゃねぇよ。
 どうせそんな自分でも愛してくれてる人がいんだよ。そこに目を向けれねぇ、無視してるだけ、気づいてないフリしてるだけなんだよ。
 だれかが愛してくれんの待ってるだけかよ。
 それじゃだれも愛してなんてくれねぇよ。
 されど一人なんて希望のある言い方もあるけど、やっぱりしょせんは、たかが一人なんだよ。
 でもホントにそれだけか。
 んなわけねぇ。
 自分の希望見つけられんのは、自分しかねぇんだよ。

 とまあ、またこんな感じでどんどん話が止まらなくなってきてしまってますが、もうそろそろやめるある。
 まだ書きたかったことはあったと思うけど、あまりに長くてもう忘れた。

 とにかくえ~っと、なんだ。

 ひさよん、すっげぇビビッたと思う。怖かったと思う。
 でも、その勇気でまた1つなにかが生まれたはずだ。
 あいのりメンバーの人たちだけじゃなく、きっと見てた人の胸にも、なにかしら必ず響いたはず。
 やっぱ、なにかキツいこと言うときって、言われる側より言う側のほうがすっげぇビビんだよな。
 ひさよん、偉い!! よくがんばった!!
 そして、ヤンクミさんも、いい!!
 実に素晴らしい仲間だ!!


 ヤベぇよ、あのラブワゴン。
 なんだよ、あの絆の深さは……
 参加してぇ。
 間違いなく、泣くな。
 ああいうの弱ぇ~んだよなぁ~……
 しかしきっとおれの場合、日本に帰らず途中下車だろうな。


 でもやっぱり、ひさよん!!
 あの心境でよく“帰ろ”って……
 “めっちゃ嬉しかった”とか“私、リタイアして日本に帰る”とか……
 あんなんハリウッドの脚本にも余裕で勝ってんぜ、マジで。
 ホントはすっげぇ憎かったろうし、思いっきり罵りたかっただろうに……
 いや、そこは違ったろうな、でも。
 これぞまさに好きすぎたってやつか……
 本気じゃなきゃ、あんな表情できねぇよな。普段そうそうめぐり会えるもんじゃねぇ。
 でも、やっぱ、虚しいよな……
 そのひと言にすべてが詰まってる気がしたな。その本気さ。


 涙を流すっていうことがなにかのバロメータっていうわけじゃないけども、涙が出るってことは、それだけ感情が高ぶったってことだ。
 年とって、地固まる。


 しかし、あんだけ人のこと泣かせられるってのもすげぇことだなと思う。
 でもなんだろう……
 涙ってやっぱ、感情の絶頂の表れなんだろうけど、穏やかな涙もある。
 なんかもう、悲しいことには泣かなくなった。
 嬉しいことに涙が出る。なんでもないのに涙が出る。
 その涙すら、心と一緒に震えてんじゃないかと思えてくる。
 ありがとうだ。
 僕の気持ちに“ありがとう”が出てきたとき、なんかちょっと涙も出てくる。


 自分の想いを言葉にすればするほど、それが軽くなるようなことはない。
 言葉は決して軽くない。
 意外にカロリー高ぇんじゃね?

 愛に巻いて召し上がれ?

  • 2006年7月18日 05:44
  • 松田拓弥
  • Diary

うわっ!!

 ヤベぇヤベぇ……こりゃヤベぇ。
 こりゃテンション上がるわ。
 ウフォフォフォフォフォフォ……

  • 2006年7月16日 09:19
  • 松田拓弥
  • Diary

あまり

人はいつか離れてゆく
君もいつか離れてく

だけどそこに愛があるなら
去ってく君を止めはしない

束縛だとか未来だとか
そんなものが欲しいわけじゃない

気持ちも答えも求める結果も
絶えず変化を続けてる

疑問や違いを打ち消すように寄り添うけれど
探しながら迷いながら揺れていた

夢や希望で積み木のように遊んだけれど
いつもどこかに隙間ができてそれを愛で埋めていた

去ってく君を止めはしない
追いもしない

愛や自由を絵の具のように絵を描くけれど
今は想い出ばかりが色づいてゆく

少しずつ積み重なったすれ違いで衝突したり
涙を流して手を取り合ったり

これからはそれがたとえ僕とじゃなくっても
僕の知らない顔を見せるとしても

君の愛は持っているから
今僕が欲しいのは君の幸せ

いくら想い出が楽しいものしか残ってなくても
それだけうまく描けないんだ

だから欲しい
僕にいつか君のすべてを描かせてほしいから
僕の知らない幸せを見つけた
そう 君のすべてを

  • 2006年7月16日 09:14
  • 松田拓弥
  • Poetry

ながぁ~い眼

 また同じこと書きそうで怖いが…ご了承あられぇ~い!!

 「貸し借り」
 …これはかなりシビアな問題だな…

「たとえどんなに大切な恋人だろうと、なにがあっても“保証人”にだけはなるなよ」
 これ、うちの父ちゃんのお言葉だ。
 一理ある…たしかに、一理ある…

 俺もそう思う。

 俺はこう思ふ。
「本当に困ってる人がいたら、自分がそのときどんな状況だろうと、自分から手を差し伸べる人になれ」

 カネを貸してくれ。
 カネを借りてくれ。
 全然違うな、この言いまわしだと…感じ方の問題だ。

 カネの貸し借りが、やっぱり一番いい例になる。
 まずは結論から出しておくと、こうだろうな…

【金額のデカさじゃない。精神的な重さだ】

 たとえば、こんな2人の場合。
 ある友達の男が100万円借りたとする。別にカネにそこまで困ってるわけじゃなく、ただ単に衝動買いするためだ。競馬するためのカネでもいい。
 そしてある日、まとまったカネが入った。
<あ、そういえば…行くとするか>
 借りてた人に、その金額より少し利子までつけて借金返済した。
「あ、どうもな。助かったわ」
「あ、そうか。利子までつけてくれて、こっちこそなんか悪いな…」

 本当にその日暮らし困ってる人に、1000円貸してくれと頼まれた…不信感…返してもらえるはずがない…何に使うのかもわからない…でもまあ1000円だし…
 貸した。もうあげたも同然だった。
 ある日、その人が借りた1000円だけを携えてやって来た。
「本当にあのときはありがとう。本当に助かった。ありがとう」
「いえいえ、こちらこそお役に立てて光栄です」

 どうだろうか…
 前者の友達からカネを受け取った瞬間、【もう次はない】と心のなかで感じるだろうと思う。しかも、貸したほうの人間が、利子までもらって無意識にでも“申し訳ない”という劣等感を味わうかもしれない。しかしまあ、単に“ラッキー!!”と感じる人、“友達だろうが何だろうが、利子は当然”という人も少なからず。
 後者のほうでは、むしろその相手を疑ったことを、自分を恥じるんじゃないかと思う。

 金額の問題じゃないんだと思う。

 借りた側の人にとっては、その金額よりも、精神的な負い目というか、どれだけそこに気持ちがあったのか。
 貸した側の人にとっては、その金額よりも、貸した人からの言葉や気持ちをどれだけ受け取れたか。

 ただの偽善者なのかもしれない。自己満足なのかもしれない。神様みたいな慈愛なのかもしれない。
 見返りを求めないっていうのは、やっぱり本当に難しいことだけれど、でもそれが気持ちの上では本当に大切なことなんだと思う。

 助けたら、やっぱり嬉しい。
 助けてもらっても、やっぱり嬉しい。
 どっちにしろ、先にも後にも、お互いに気持ちのいいものでありたい。
 恩着せがましいのは、お互いにとって、気分が悪いと思う。
「あのとき○○貸してやった」
 これはタブーだと思う。

 …人に何かをしてあげる…
 …人に何かをしてもらう…

 この「してあげる」と「してもらう」っていう言葉が入ると、どうしても気持ちの片隅になにかがひっかかる…それは俺だけかもしれないけど、これを取り除ければ、もっと気持ちよくなれると思う。
 難しいけど、それを『なっがぁ~い眼』で見てほしい。
 ゴミを捨ててあげた・カネを貸してあげた・灰皿をとってあげた・頼まれたものを買ってきてあげた…
「仕方ねぇ~から捨ててやったぞ?」
「じゃあ、5000円貸したわけだから利子は…10万だな」
「押しつけて消すなよ? 灰皿に跡ついて汚れるから」
「んじゃ、パシリ代としてお釣りの30円はいただきね」
 たとえが小規模すぎて無意味かもしれないけども、相手としてはほんのりムカつくだろうと思う。

 …なんでそんなことする必要あんの? 普通に渡してやればいいじゃん…

 でも、そこがミソなんだわ。
 たしかに必要はない。
 ただ、相手に精神的な負担を取り除くため…
 いやむしろ、それをした人のほうが悪いことしてるように思ってもらうため。
 ものっすごくちっちぇかもしれねぇ。そんなこと気にするほうが、ちっちぇ人間だとか言われるかもしれねぇ。
 でも、そういう精神的な負い目ってのは、時間が経つほどに大きくなってくると思うわけです。
 そのときは普通に接してたはずなのに、あとになって「ああ、あいつには世話になってるなぁ~」なんていう感情がふとした瞬間にわきあがってくるものだと、俺様は思うわけ。

 でもこれも、一種の【優しさ】と受け取る人もいれば、ただ気づかずにそのまま【ムカつく】っていうだけで終わる人がいる。

 そんな場合、「あいつはひと言多い」とか「失礼だ」とか「常識がない」とか、言いたい放題に言われる。
 優しさと気づいた人には、もっと重くのしかかるか、「実はいい人」っていう感じにでもなるのかしら…
 まあ、そのへんは摩訶不思議なところですな。

 どっちにしろ、自己満足の世界かもしれないけど、俺はそういう些細な、本当に些細すぎることかもしれないけど、小さな優しさというか、さりげない優しさとかいうのが、大好きだ。
 俺が好きなだけだ。
 まわりの人だれにでも認められる【優しさ】よりも、その人なりのちっちゃな【優しさ】のほうが嬉しかったりするだけであって、そういうのが好きなだけ…けっこうフェチに近いかもしれまいに。

 不器用な人の、そんな【優しさ】に触れられたときは、筆舌に尽くしがたい嬉しい気持ちになる。
 きっとそれは、その人にとっての精一杯の優しさだろうか…
 自分も優しい気持ちになれたような気がする。

 ああ…また長くなりすぎてる…大学生の論文みたいな長文だ…でもいいとこ“C+”ってとこかな…

 【優しさ】も、【なっがぁ~い眼】で見れば、【ムカつきのかけら】なのかもしれないな…

  • 2006年7月15日 01:48
  • 松田拓弥
  • Essay

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