2006年9月の文章リスト

“ 2006年9月 ” 分の文。

ポーランド対日本

 今さらながら女子バレー ワールドグランプリ!!
 対ポーランド戦の第2セットまで!!

 いやぁ~、ニッポン強ぇなぁ~……

 荒木さんが実にいい!!
 前大会のときとは見違えるような彼女の活躍!!

 今回はリベロとして起用されてる菅山さんのスーパーレシーブ!!

 竹下さんの素晴らしいトスワーク!!

 沙織さんのハイセンスな攻撃!!

 そしてやっぱり、高橋みゆきさんの相変わらずな感じ!!

 いやぁ~、強い!!


 とまあ、そんななかでふと気づいたことがある。

 おれはどうにも、ちゃんと汗をかく人が好きらしい。

 たまぁ~に女の人で、どんなに動いても全然汗かかない人ってのがいる。
 でもこうして大会で試合をしてるなか、ものすごい量の汗を流して戦ってる彼女たちを見てると、おれはそういうちゃんと汗を流す人が好きだってことに気づかされた。
 不思議なもんだ。
 世の中はどうも、できるだけ汗を抑えるような方向に進んでるような気がする。
 でもそれは、僕にとって涙も流しちゃいけないって言ってるのと同じような気がするわけだ。

 大山さんとか、ものすげぇ量の汗をかいてる。
 たぶんバスケ中のおれと大差ないぐらいかいてるだろうと思ふ。

 おれはそういう人が好きなんだな。
 きっと自分に素直なんだ。
 いやまあ、心と体は別だっていう考えもあるんだろうけど、動いたら汗が流れる……これ自然。

 汗ダラダラな姿は、なんも汚くない。
 むしろキラキラ輝いてるさ!!

 やっぱ自然体が一番だ。
 観れば観るほど、続きがどんどん楽しみになる。
 女子バレー最高!!

 そしてまた今さらながら、世界バスケ……

 つまんねぇ。

 なんだろねぇ~……
 やっぱ動きとかルールとかわかるし、自分がやってたからなのかねぇ~。
 どうしても粗が見えてしまう。
 “おまえら、ホントに全日本か?”って何度も感じてしまった。
 まあ、高校と世界とじゃ、全然レベルが違うんだろうけども、これなら能代とかのほうが強いんじゃねぇかと本気で思ってしまう。

 とまあ、やっぱりタブセくんは出てないらしい。
 かなり残念だ。

 観てると、NBAとの大きな差って、とにもかくにもフリースローの率なのかなぁ~と感じた。
 フリースローは、NBAを観てると、ほとんど絶対と言っていいほどはずさない。
 でも世界バスケだと、けっこうはずしてる。
「この状況で2本とも決めるのは立派ですねぇ~」
 そんな日本人の解説が入るのがちょっと退屈だ。
 むしろ、自分たちでレベルの低さを明言してるように聞こえる。

 あと、日本の解説者の方の話を聞いてると、どこをどう聞いても、ちょっと日本のチームを褒めすぎてるような気がする。
 五十嵐くんのスピードはたぶん、全体的かつ平均的なそれのことだろう。
 でもバスケはやっぱり、一瞬の瞬間的なスピードのほうが大事だし、それを感じて初めて“ヤベェ、こいつ速ぇ”って感じるもんだ。
 ずっと速くても、それはそれで速くても、試合のなかで慣れちゃうわけだ。

 そして折茂さん……なぜそんなに期待されてるんだ?
 まったくわからんぞ。


 しかし、桜井くんはとてもいい!!
 なぜ彼をスタメンで起用しないのか……
 一対一の強さなら、きっと彼が頭一個ぬきんでてるんじゃないか?
 3Qも出てくるんだろうか? ちゃんと監督さんは彼を使ってくれるんだろうか?


 まあいずれにせよ、がんばれ、ニッポン!!

  • 2006年9月29日 04:15
  • 松田拓弥
  • Diary

感じる笑顔

きみが笑うとまるで目をつぶっているように
きっとそやってきみは僕の心のなかを覗いているのかな
きみの顔から気持ちがいっぱい
いっぱいいっぱい弾けるとき
その瞳を閉じて
そう瞳を閉じて
僕のそばにいてほしい
きみがもう二度と目を開ける必要もないくらい
僕がその手をにぎってるから
きみを抱きしめる

僕はいつも君の笑顔がほしいから
どうしてもこの目を閉じられなくて
怖くなる
君の笑顔が消えてしまう
君が安心して目を閉じられなくなるその瞬間

だけどきみが目を閉じてと言うたびに
僕のなかできみの笑顔が見えてくる
不思議なくらい
きみを見つめているときよりはっきり
遠くで小さな雫がこぼれた音のように
きっと
きみの笑顔を感じてるんだね
この目で見るよりはっきり
この手で この胸で この心に

  • 2006年9月22日 01:01
  • 松田拓弥
  • Poetry

ありふれた

時に嘘が笑顔にした
時に真実で涙を見た

人の表情が基準じゃないけど
それを感じてしまった

知れず泣かせてしまったこともある
だけどいつの間に笑っていたのか

気持ちを伝えたかったはずなのに
言葉が心を裏返してしまったように

昨日見た夕陽が
今日の朝陽と思えぬように

同じものが同じに見えない
違うものを一緒にしようとしてしまう

ホントは泣きたいのに
笑っていようと強がったり

  • 2006年9月19日 00:23
  • 松田拓弥
  • Poetry

「がんばれ」

 「がんばれ」って万能だと思ってた。
 万人に通用する励ましの言葉だと思ってた。
 でも“鬱”の人には、それは言っちゃいけない言葉だと知った。
 なんでかはわからない。

 鬱の人がいる。そして、そう言ったことがある。
 でもその人は、僕に「ありがとう」と言ってくれた。そして「がんばる」とも言ってくれた。
 笑ってくれた。
 なんでかはわからない。

 なにも知らない僕に、ムリしてくれたのかもしれない。
 僕はなんもわかってないんだろうか。わかろうともしてないんだろうか。
 その人からたくさんの話を聞いて、僕は僕なりにわかったつもりでいた。
 わかったつもりになってるだけなんだろうか。
 そして出た言葉が「がんばれ」だった。だから「ありがとう」だったのだろうか。

 なにをがんばったらいいのかわからない。
 がんばる理由がわからない。
 がんばったその先、なにになるのかわらかない。
 がんばったら、なにがいいんだろう。

 “がんばる”って、なんだろう??

 ものすごく曖昧だ。
 だからこそ、その人が今がんばってることがあるとき、そのことについての励みになる。
 別になんもがんばってなくても、なんとなくそんな気になる。そんな、なにもない自分が勇気づけられるのかもしれない。

 “鬱という診断を受けたら、少し気持ちが楽になった”
 その言葉を聞いたとき、ひどく疑問に感じた。だけど、なんとなくわかるような気もした。
 要は、気の持ちようなんだ。
 とりあえず病気ではないけれど、手元に薬があると安心する。そんなところと同じだろう。
 でも、なにもかもが受け入れられなくなると、自分すらなにがなんだかわからなくなってしまうんだろう。
 それによって、そういう状態の自分をまず受け入れることができるようになったんだろう。
 たったひと言“鬱”って言葉で。

 僕は“鬱”っていう状態じゃない。診断も受けてない。
 だからなにもわからない。自分が経験してないことは、どうあがこうと、完全にはわかるもんじゃないだろう。勉強だってしてないし、専門のお医者さんにどう対応したらいいか聞いたこともない。
 でも、わかろうとしてないんじゃない。
 わかりたい。
 僕の「がんばれ」が、みんなの「がんばれ」が、いつか絶対言っちゃいけない言葉じゃなくなるように。

 「もうほっといて」と突然言われた。
 ほっとけないんだよ。
 「もう生きててもしょうがない」とまでポツリと言った。
 でも、いつもそうかって言ったら、そういうわけじゃない。
 なにかのスイッチが入ったみたいに、なんの前触れもなく突然だったりする。
 そう言われたら、そうするのがその人にとっては一番良かったのかもしれない。死んでしまえば、だれも知らないんだから、本当に楽になれるのかもしれない。そう、誰も知らない意味で。
 でも、ほっとけないんだ。
 こういうお節介が一番の迷惑なのかもしれないけれど、そういう人たちを、そういう人たちもいるっていうことをただ、簡単に無視しないでほしいだけなんだ。

 その一方で、わがままや好きなことだけやってるっていうのが許されるってことに疑問も感じる。
 もしかしたら、それさえ苦痛とか意味がないとか思っててやってるのかもしれないけど、程度が違うっていうだけで、楽しそうに会話することもあるから。
 でも、そのおかげでっていうのはおかしいかもしれないけど、それによって嫌いなことを放棄できたり、自分のわがままを人に聞かせるだけの強制力が与えられたような状態には、怒りさえ感じる。
 自分は病気なんだからって、人の気持ちにも我が物顔だ。
 基準がすべて自分だけになってる。医者でもない。友達でもない。親でもない。
 それこそが、なにもわかってない証拠なのかもしれない。
 でも、単なる甘えだったり、正式な名前がついたかどうかの差にしか思えないときがあるのも事実。

 その人にも気持ちがある。
 人それぞれにそれは違う。
 みんなと同じっていうのが受け入れられなくなったんだろうけど、やっぱりみんなと同じで安心するんだ。
 なにを求めてるかって、みんなであり、そんなみんなのなかにいる自分なんだ。
 それは痛いくらい伝わってくるんだけど、その自分自身がそれを見失ってんだ。

 だから、サジを投げたくなる気持ちもわからなくはない。
 どうしたらいいかわからないんじゃない。
 自分がどれだけ心配しても、なんの解決にもならないんじゃないか。薬やなんかじゃなきゃ、助けてもやれないし、なんにもならないんじゃないか。なにもしてやれない自分への不甲斐なさ、無力さ。そして、それを嘆いたところでなにも変わらないし、わからないこと。それすら無視されてしまうということ。わかろうとしても、それすらムダに思えてしまう。
 それがきっとうちの親父だったんだろう。
 それだったらそれがわかる人、自分はそれ以外の、自分にできることでがんばろうって……そやって親父はがんばろうとしたんだろう。
 自分は見えなくなってもいい。見えるようになったとき、いつでも帰ってこれるようにって。自分は自分でやれることをやっていこうって。
 ……なんか泣けてくる。
 そのときのおれは気づけてやれなかった。その気持ち。
 すごい優しさだ。

 今がんばれることがないんなら、がんばれることが見つかるように、今からがんばればいい。
 なんのためにがんばるのかがわからないなら、わかるまでがんばってみればいい。
 がんばった先になにがあるのかは、がんばってみなきゃわからない。
 いいか悪いかは、きっとあとでわかること。良かったと思えたら、またがんばればいい。ダメだったら、もう二度と同じことを繰り返さなければいいだけのこと。
 がんばることを答えだと思わないで。

 こういうことを書いてること自体、もしかしたら“鬱”っていう状態をわかってないのかもしれない。
 だけど、僕は「がんばれ」と言い続けたい。
 がんばれるのは自分しかいない。きっと誰も好きでなったわけじゃないんだから。
 「がんばれ」って言葉を受け入れられた日もあったんじゃないかと思う。
 そして、そうやって笑い合えた日が。

 僕は思う。
 でも僕には「がんばれ」としか言えないだけで、それに頼ってるだけなのかもと……
 やっぱり、安易になんの用意もなく、簡単に口にしちゃいけない言葉なのかな。「がんばれ」なんて不用意すぎるのかな。
 マジメにいろんなこと考えたりやってきた人が鬱になるんだって聞いた。
 もしかしたら「がんばれ」っていう言葉が一番不器用なのかもしれない。

 でもやっぱり僕は、その人とまた、笑い合って話したい。
 それだけだ。
 でもやっぱり、その人だけじゃない。
 「がんばれ」
 みんなとまた一緒に笑い合おう。

  • 2006年9月17日 00:27
  • 松田拓弥
  • Essay

not SEX

【人間の3大欲求】だという。

 食欲。睡眠欲。性欲。

 いや、違うな。最後が違う。

 食欲。睡眠欲。知欲。

 腹がへれば食べたくなる。
 起きてりゃそのうち眠くもなる。
 ただ、性欲ってやつが……どうも違うような気がしたこの頃。

 そこは“知る”ってことだと思うわけよ。
 そのなかに含まれてるもんなんじゃないかと思えてきたわけ。
 気になる人がいると、その人のことを知りたいという気持ちが、どこからともなく沸いてくる。
 で、その人を知っていくっていう過程のなかにセックスだとか、性欲っていう部分があるんじゃないかと……
 はっきりしない。自信もない。
 おれも男だ。
 やっぱり人によってセックスだとか、性欲っていうものに対する考え方というか、とらえ方が違うとも思うわけだ。
 “セックスレス”っていう言葉が一気に表面化してきた。
 思いっきり衝撃を受けた一人。
 性欲っていう部分が、特にこれといって必要ないってことだろうという解釈。
 いや、あるいは、ただセックスに関してはあってもなくてもいいというだけで、性欲は沸くという感じ。
 この違いだけで、そうとうな違いがある。

 しかしだ。
 やっぱり、セックスってのは、相手を知る上での通過点だと思う。
 良く言えば、大切なスキンシップの1つ。悪く言えば、たかが通過点。
 愛し合う2人には、それは自然な行為だとも言う。
 ここで“自然”という言葉は、“誰の基準で”とか“人によってそれは違う”とか、しょうもないツッコミはしてくれるな。
 その人のことを知りたいと思ったら、やっぱり性に関しても知ってみたいと思うと思う。
 どちらの意味でも“性”というものを意識してるってのが前提なんだし。
 でもその部分には興味はないという人もいるだろうか。
 いや、でもやっぱし、その人を知るってことは、その人が性に関してどう思ってるのかってことも知るってことも含まれるだろう。含まれてなきゃいけないとも思う。
 その人がそこには興味ないっていう考えなら、それを知るってことでもあるわけだ。
 もしその人が点描ならそのなかの1つ。構成する1つの要素。
 裸を見てみたい。触れたい。寄り添いたい。すべてを知りたい。
 これは男ならではなのかもしれないけど、どんなセックスするんだろうとかにまで及ぶ。偏見とも言えようか。いや、これは単なる僕の個人的な嗜好だろうか。
 だからこそ、“飽き”っていうのがくるんじゃないかと……

 その人のことをある程度知ってしまうというか、その人に関する自分のなかにできた抽斗がいっぱいになってしまったとか。
 やっぱり“飽きる”っていう気持ちってのは、自分のなかで納得できるまである程度それができるようになってたり、ただ単に興味がなくなったり、そういう感じで区切りがついたときだと思う。
 あるいは、できないっていうことで、諦めに近い感じだったり。
 浮気だって、その人だけじゃ飽き足らず、ほかの人とのセックスに興味を感じたり、ほかの人へのかるい興味で、恋人以外の人も知りたいっていう欲求の表れなんだと思えてくる。
 恋人に対する性の興味が薄れただけで、ほかの人への性欲はあるし、それが消えたわけじゃないから。
 いや、むしろ、恋人とのセックスが、どれだけ本気なのかって試したくなるってのもあるだろう。浮気って、実際には恋人への探求心が薄れたわけじゃないんじゃないか。

 しかしだ。
 これまた、しかし。
 男の場合、たまればヤリたくなる。誰でもいいとさえ思えてくる。無性に女を欲するときがある。
 でも女性の場合、そうでもないらしい。
 とはいえ、それは男から見た女性像であって、さらには僕個人の美化しがちな見方だというのが多分にある。
 女の人だって、ヤリたくなればヤルだろうし、言い方は違えど、たまればヤリたくなるんだろうと思う。そういうときにはやっぱり誰とでも寝るんだろうし、無性に男を求めることだってあるだろうと思う。
 知りたいとか以前に、ただ単にその人と“セックスしたいかどうか”だけが基準になりそうな気もする。
 男と女の浮気は、質が違うってイメージがあるんだろうが、そんへんはきっと同じだろう。
 けっこう女性っていう性を美化しがちな僕だけど、そのへんはけっこう冷めてる。
 男も女もみんな一緒で、女は女でみんな一緒で、男も男でみんな一緒だ。
 男だけが浮気する動物ってわけじゃないし、現実的なのは女だけじゃない。どちらも理想は必ず持ってる。
 だってみんな同じ人間なんだもの。

 男と女は、本質がもう違うってなんかの本に書いてあった。
 それは僕も思う。
 でも本質そのものは、同じ人間だ。
 たぶん男ってやつは、女の人を美化したがるようだ。
 ただ女の人は、そのへんを割り切ったように男のすべてを口で言う。あくまで口ではだ。個人的にはそこを小突くのが好き。
 まあ、女の人について考えるときはきっと、あたかも世界中の全女性が自分の恋人だというような空想のなかにあるんだろう。
 それで、もし自分の恋人が誰とでも寝るような女だったらとか、部屋がメチャメチャ汚いとか、うんこしてる姿とか、そういうイメージが沸いてしまって、そんな女はイヤだとか認められないっていう勝手な基準でとらえてしまうんじゃないだろうか??
 いつまでも美しいままであってほしいっていう期待だったり。
 というより、そもそも女性っていう存在そのものを現実として、ちゃんと受け止められないのか……ましてや恋人なんて言ったら、女神さながらか。
 男も女も、所詮セックスは性欲の解消にすぎないんだろうか??
 そこに気持ちっていうのが常につきまとうから、快楽とかと一緒に結びつけたがってしまうのか??
 いや、むしろ感情っていうのをそこに結びつけたがってるだけなんじゃないか??
 切り離したら、きっとすごい楽になるだろうと思う。
 でもそれができない。いや、ただしたくないんだろう。
 感情っていうものはオプション・サービスみたいなもので、それがあればより高まったり昂ぶったりできますよみたいな補足説明がつくもんなのか。
 快楽と快楽のぶつけ合いなのか……
 欲望どうしのセッションなのか……
 だからか??

 いや、違う。話が逸れてる。
 いや、完全には逸れてもいない。微妙にかじってる。
 だから余計にタチが悪い。
 いろんなことが頭のなかで飛び火する。
 男も女もたくさんいる。
 ……待て。
 セックスと性欲自体、別モンなのか……
 でも性欲ってのは、どうしてもセックスへと結びついてしまう。憧れだったり、その性の対象への欲求だったり、不満だったりする。
 浮気されたからとか不安だったとか、ただ淋しかったは抜きにして。
 でも性欲ってのを考えるとき、そういう理由は抜きにできないのか??
 それこそ、なんとなく人肌恋しいとかってのがある。ただ無性にだったり、たまたま目についたとか。
 まあ、人肌恋しいと性欲は、必ずしも結びつかないんだけど。
 いやいや、理由なんてもの自体がいらないのか??
 欲求は欲求か?? 衝動は衝動か??
 でもその欲求も、少なからず理由があるはずだ。
 それが“相手を知りたい”っていうのじゃないかと思うわけだ。


 ……また振り出しだ。
 それも大事ってことなだけか??
 さっきも書いたように、それもそのなかにあって“その人とセックスしたいか”とか“その人を求めてるか”っていうことなんだろうか。
 なんかそんな気もしてきた。
 でもやっぱり、セックスとかでは、精神的な満足というか、満たされるっていう気持ちが一番大事だと思える。
 出さなくても、なぁ~んか満たされたなぁ~って感じるときも多々あったし……いやはや、個人的なことで申し訳ない。

 性欲は年齢とともに老いてゆくとも聞く。
 でも老夫婦は、相手を思いやり、相手を知っていくことをやめたりはしない。
 セックスだとかそういうことはもう超えた関係だとは言えないけど、たぶんどんなに年を取っても“知る”っていうことへの欲求は衰えないだろう。
 うん、そうだ。
 違った。
 別にセックス云々の話をしてたわけじゃない。
 “知る”っていう欲の話だった。

 だからやっぱり、性欲よりは“知欲”だと思ふ。

  • 2006年9月16日 03:01
  • 松田拓弥
  • Essay

僕ら

もう涙なんかいらないさ。
つらいときも嬉しいときも、きっと充分流しただろ?
きっと僕の知らないときも。

言葉もきっと必要ない。
もいちど自分と向き合ったとき、自分自身に笑ってあげて。
“本当にありがとう”って。

だけどこれからもずっと大切にしていきたいのは、こうして少し離れて本を読んでる横顔。
いつも同じじゃなくていい。
ずっと見ててほしいなんて言わない。
昨日の笑顔もあの日の涙も、今きみが抱えるその本も、きっと僕らと呼べるすべてのなかの1つだから。
僕らのすべてが、僕らっていう1つなんだから。

きみはきみの宝なんだ。

  • 2006年9月14日 00:34
  • 松田拓弥
  • Poetry

ありがとう

 会えないことがつらいんじゃない。
 ただ会えることが嬉しいんだ。


 いろんなことがあたり前になってくると、それに対する感謝の気持ちってのが、それ以上のスピードで薄れていくような気がする。
 ないのは困る。
 だけど、あってあたり前。
 空気に改めて感謝を示す人は少ないかもしれない。無意識のうちに、呼吸できてるってことで、それを感謝だとする人もいるかもしれない。
 いや、これはちょっとたとえが間違ってるかも。

 たとえば、“お昼のお弁当”とか。
「あ、そういえば、今日の弁当は?」
「ちょっと忙しくて作れなかったの」
「は? じゃあ、今日どうすんだよ」
「どうすんだよって……そんな、もともとあるものじゃないのよ」

 たとえ話2 “約束のない約束”の巻。
「今からだいじょうぶ??」
「ああ、今日ちょっとムリ」
「えぇ~、マジ~??」
「マジ」
「約束はしてなかったけどさ、いっつも会ってたじゃん。だから今日も会えると思ってあけといたのに……」
「自分のことぐらい、自分で決めさせてくれよ」

 やっぱし、感謝の気持ちってのは大事だと思う。
 そして、それは思ってるだけじゃダメだ。伝えなきゃ、それはたいして意味がないんじゃないかな。
 モノじゃあるまいし、やっぱり相手は同じ気持ちのある人間なわけだから、伝えなきゃ伝わらない。
 空気とかモノなら、そのために何か自分ができることをやればいい。
 で、さらには「いつもごめんね」とかじゃなくて、やっぱし「いつもありがとね」のほうがいいかと思う。
 なんとなくだけど……申し訳ないって気持ちからだと、どうも皮肉というか、ささやかな悪意というか、卑屈というか、ちょっとばかりの引っかかりを感じてしまう。
 個人的な感覚かもしれないけど、謝られると、なんかそこに他意があるように思えてしまうときがあったりする。謝られることで、何かこっちにも悪かったことがあったんじゃないかとか、こちらまで変に恐縮してしまったり、負い目というかプレッシャーまで感じてしまうことすらある。なんかもう、それ以上なにも言えなくなっちゃうし。
 ただそれを言うと、素直にそのまま「ありがとう」って受け取るってのも、遠慮もなく図々しいとか思う人もいるだろう。
 でもやっぱし、気持ちがいい。
 それでいて、なんか純粋というか、素直な感じがする。
 一発でわかりやすいような気もする。

 そういうことをたどっていくと、どうも最近、人から「ありがとう」って言ってもらったことが少ないように思える。
 なにかにつけて「あ、すいません」とか「ごめん」とかで返ってくるような気がする。
 波風が立たない。
 まあ、それは「ありがとう」でもそうだろうけど。
 波風立てようってわけじゃない。
 先に折れておいたほうが、なにごとも円くおさまるってことなんだろうか。そういう環境から得たみたいなことを体が条件反射みたいに反応するってことなんだろうか。
 それとも、たいして本当にそんなこと思ってなくても、平謝りって言葉もあるぐらいだから、そっちのほうが簡単なだけなのか。
 楽なほう、楽なほう……

 お願いと不本意。
 いや、成就と不本意。
 こっちか?? 結果か??
 ちょっとそれ取ってくれる? ああ、いいよ。はい。ありがと。
 鉛筆を落としてしまった。それを拾って手渡した。ごめん。
 その使い分けの基準はわからないけど、やっぱり「ごめん」とかのほうが多い気がする。
 鉛筆が転がってきて、それを拾って手渡して「ありがとう」って言ってもらえたからって、“よぉ~し、全部拾ってやるから、どんどん転がしてこい”とは思わないけど、また次への意欲が沸くんだろうな、きっと。
 まあこれも、特別なこと言ってるわけでなくて、たぶんこれこそがあたり前のことなんだと思う。
 鉛筆が落ちて自分のほうに転がってきたら、そんなことで感謝されるいわれものないほど、それは拾ってあたり前だ。

 「ありがとう」のほうが素直ってことなんだろうか。
 だから、それをまた素直に伝えるってことが難しいんだろうか。
 もし僕がお弁当を作ってる身だとしたら、やっぱり「ありがとう」のほうが、なんとなく嬉しくなりそうな気がする。そっちのほうが、なんとなく優しい気がする。
 会えること、お弁当がそこにあること。
 無意識のうちに感謝して、無意識のうちにそこには約束ができてて……
 どちらもがあたり前と思えるほど、遠く離れることはないってことなんだろうか。
 そんな締めでもいいかもしれない。
 でもホントは、ものすごく遠くて尊いものなんだ。
 たぶん、そんな言い方だとかはどうでもいいから、そういう気持ちを素直に伝えてくれさえすれば、それだけで嬉しいんだろうな。


 会えないときはこれまで、いくらでもあった。
 だから会えたときを素直に、ありがとう。

  • 2006年9月12日 00:34
  • 松田拓弥
  • Essay

グー・チョキ

 “神様”って、1人じゃなくていいのかもね。
 つらいときに神頼みってしたくなるから、もし神様が1人だけだったら、神様だって大変だ。
 全部が全部助けられない。
 神様って万能らしいから、体が1つだけじゃないかもしれない。それでもきっと、息切れするだろうし、病気にもなったりするかもしれない。風邪で寝込んだり、今日はちょっと疲れたから人並みに“サボり”とかあってもいい。
 つらいときだけ神様に頼ってたんじゃ、神様だってサジも投げたくなるだろうさ。
 でも何かあったとき、感謝されるのも神様だから、そうも言ってられないんだろう。
 まあ、こんだけたくさんの神様がいるのに、助けられる人と助けてはもらえない人がいるってのは、そのへんを口実にすることもできるんだろうけど……
 お賽銭だって、子供にあげるお小遣いの10分の1にもならないさ。
 助けられた人だけが信じて、そうじゃない人は信じなくなるって、それじゃ神様も
商売あがったりだ。
 まあそれでも1人で全部聞いてたら、芸能人さんたちがファンレターは全部は読みきれないけど、だけどファンはみんな大事にしたい、そんな感じになるだろう。
 歌が下手だったり、100メートルが遅かったり、なんかやけに体育会系だったり、そんな神様だっているかもしれない。すごいばっかが神様じゃないだろうさ。まあ、ただ単にそっちのほうが楽しいのかな。
 信じ合って、認め合っていけばいいさ。

 なにが良くて、なにが悪いなんて、そんなのきっとどうでも良くて、そこへ行ったら手を合わせたり、決まった時間に礼をしたり、なにもなくても感謝するって、そういうことが大事なんだろう。
 そやって信じてる人みんなが、そんな自分自身を神様だと思えばいい。
 もちろん、万能とかじゃなく。
 そしたらまわりの人に感謝するし、傷つけないだろうし、つらいとき、あたり前のように相談もするだろう。

 人間を創ったってのを神様にしたいんなら、最初の人間でいいと思う。
 でも、その最初の人間を創ったのはって話になるなら、それは自然でいいんじゃないの??
 でもそれじゃあ、文明社会が聞いてあきれるってもんなのか??

 まあ僕は、無心論者ってわけじゃないけど、とはいえ“神様だっていたっていいんじゃないか??”ぐらいの感じだから、そんな壮大な映画になるようなことは言えたもんじゃない。
 なんとなくってな、そんな軽い感じで言っちゃいけないことかもしれないけど、まあ、その神様の背景だったり背負ってる歴史なんてクソ食らえだな。
 ちっちゃいころ、“毎朝、学校行く前、この石に触らないと悪いこと起きる”ぐらいの気持ちと同じレベルだ。
 全部なんて読んだことはないけど、やっぱしどの経典にいたっても、おおまかには“愛”とか“自由”とか“平等”とか、やっぱりあとは“平和”とかか??
 なんかそのへんの、どんな人に対しても通用することを説いてるんじゃないかと思うわけよ。
 で、それって誰もが願ってたり思ってたりすることでもあると思うわけよ。
 あとはまあ、断食だの無我だの生まれ変わりだの何だの、なんかいろいろあるんだろうけど、生まれた土地とか環境でそれが決まるってのはおかしいと思うわけだな。
 それが人種差別だの宗教差別につながってたりするのかなと……
 だからつかまえとく神様なんて、たいして目的もない高校選びと同じで、とりあえず“近いから”でいんじゃねぇの?

 おっと、話の規模がデカすぎて、延々終わらない気がしてきた。
 まあ要は、そうやって信じる人がいる限り、みんな1人ひとりが神様でいいんじゃないかと……
 神様を1人だけってするよりは、みんな神様にしちゃったほうが、1つのパイを取り合うようなケンカも起きなくていいんじゃないかなと簡単な結論。
 その裏にどんな歴史があろうと、誰もが平和や自由を願うなら、それに向けて宗教自体を1つにするんじゃなく、考え方を1つにすりゃいいんじゃないかと思ってしまう。
 軽いな。
 うん、そうとう軽い。
 やっぱ、その歴史にどれだけの血や思いがあったかも知らず、こんなこと軽々しく言うもんじゃないか……
 でもこれ以上の血を流さないために、今なにができるかが大事なんじゃないかな。
 いまだに宗教とかの紛争が続いてるわけで、そのへんが変わらないとずっと変わらないんじゃないかな。
 まあ、聖書とかを見てみるけど、もしこんな宗教ができようもんなら、これ1ページぐらいで書き終わるなんざぁ~、全世界の人の心を突き動かせる宗教なんかとは比べものにならないぐらいお粗末な経典だな。

 しかしねぇ~……
 「オレは神様だ」とか言って何したっていいとか言う人も出てくるだろうから……
 って、そこまで考えないといけないんだろうか??
 “愛”とか“自由”とか、そういうのは感じ方も考え方も、そういうことすべてを“人それぞれ”っていう言葉で片付いちゃうのも事実だけど、本当にそれでいいんだろうか??
 本当にそれで子供たちが将来、国境や人種も越えて、手を取り合って笑い合って過ごしていけるんだろうか??
 言うだけタダっていうように、願うだけタダなんだろうか??
 僕もここで言うだけタダかもしれないけれど、誰もが願えば何かが変わるんじゃないだろうか??

 僕は子供が大好きだ。
 やっぱり何かしたい。僕も僕っていう世界のなかでは笑って過ごせた。つらいこともあったけど、楽しいこともあった。
 どっちが多いっていうのは関係なくて、楽しく笑って過ごせたことが大事なんだ。
 そして今、僕ももういい大人と呼ばれる年だ。
 でも僕にも子供時代はあった。
 そのとき、その時代のいい大人たちが僕らのために、きっと何かしてくれたに違いない。そう思いたい。
 僕はなにを受け継いでるのか。
 そして、なにを残せるのか。

 なにを一人勝手にヒーロー気取りで、誰も頼んでもないのに使命感みたいなの背負ってんだとか言われそうだ。
 でも、なんかそういう気持ちが僕のなかのどこかに欲しい。
 なにができるかはわからない。
 でも、なにかできるんだっていうものが欲しいだけかもしれない。
 なにかをしようとして全部こなせるような、万能な人間なんかじゃない。
 でも、その子にとって神様みたいな存在になりたい。
 “ありがとう”って言ってもらえるような、そんな存在……

 あ、いや、なんかおかしい人みたいな書き方になってるな、こりゃ。
 あ、いや、でも、間違いってわけでもないんで、ここまで書いちゃったらもう、いかんともしがたい……
 引っ込みもつかないので、とりあえずこのままUPじゃ!!
 でも、自分の言葉に嘘はない。
 たまにはデカいことも言ってみたい。
 ちょっと弱気……
 いやいや、これも僕の思ってることだ。
 強気でいけ、強気でぇ~!!

 と、それ以前に、神様自体が正義だとか善とは限らないんじゃないのかなと思ってみたり。
 それが原因の戦争なんかが世界中で起こってるわけだし、「キリストミサイル発射!!」とか「シャカシャカ爆弾投下!!」とか言われてたらシャレにならん。
 とはいえ、原因がそれだからって、それが悪とも限らんわけで、歴史とかも関係してるんだろうし、そんななかで善悪を判断するほうが難しいのかもしれないし……
 ……はぁ~、実際にはこんなだから戦争だとかが起こるんだろうか。

 なにが悪でなにが善とか、どれが唯一とか正しいとか、そんな答えがないからか……
 もし本当にそうだったら、なぜ戦ってるのかもわからないじゃないか。
 なんのために戦ってるんだろうって感じる人はいないのか??
 だけど、ヤラなきゃヤラれる……そのために戦うのか??
 そんな理屈でもあれば戦えるのかもしれないけど、そんなことで戦うのか。
 僕の知るの宗教って、そういうのをやめるようにと説いてるものだと思ってる。
 そこからなにが得られるんだろうか……
 戦争が終わらない限り、戦争はなくならない。

 LOVE & PEACE
 グー・チョキ

  • 2006年9月11日 03:09
  • 松田拓弥
  • Essay

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